月刊の保育雑誌「ちいさいなかま」(ちいさいなかま社)7月号(591号)に、上述のタイトルで小論を書きました。
1,2歳児で目に付く「自己主張」。それは、これからを見通す力である「表象」とそれを保持する「記憶」が育まれたからこそ成立する力です。
当然ですが、子ども自身のもつ見通しは、大人のもつそれと重なることも、重ならないこともある。そう考えると、自己主張の機会が存分に保障されているときには、必ず、大人の望む方向とは異なるそれが伴うはずでしょう。
いっぽうで、子どもの自己主張を正面から受けとめるのは、なかなか苦しいのも事実です。
では、どうすればよいか。
強い自己主張を表に出すとき、子どもはどんな気持ちを抱いているかに思いを馳せることが、それを考える手がかりになるように思います。
自分の世界と相手の世界の区別をつける土台ができるのは、おおむね2歳を過ぎた頃。
その頃の子どもは、強く自己主張しつつも、もしかすると相手の思いを、頭の片隅に感じ始めているかもしれません。
でも、子どもなりに相手の思いを感じつつ、気持ちの折り合いをつけて決断するには、時間がかかることもある。むしろ、相手の「正しさ」を感じればなおのこと。
自分なりに考え、葛藤し、決断するために時間が必要なのは、子どもも、大人も、同じではないでしょうか。
道すじを示し、導くだけではなく、前向きに葛藤できる時間と、そうしたくなる空間をつくること。
「自己主張」を「支える」というパラドキシカルな問いは、保育や子育てにおいてよく眼にするいっぽうで、探りがいのある課題だと改めて感じました。
拙稿が掲載されている雑誌『ちいさいなかま』7月号(360円と廉価!です)の特集は、“自己主張? わがまま?”
興味がありましたらぜひ、他のみなさんの保育実践や投書とともに、ご覧いただけると嬉しいです!
0 件のコメント:
コメントを投稿