日曜日, 5月 11, 2014

保幼小連携から考える公教育/保育の役割(松本)

 少し時間が経ってしまいましたが、雑誌『現代と保育』(ひとなる書房)の最新号(88号:3月刊行)に、『5歳児も小学生もわくわくする保幼小接続を目指して』のタイトルで連載原稿を書きました。
 登場するのは香川県丸亀市立富熊保育所と富熊小学校。
 扉付きフェンスを隔てて隣にある両者が、1年にわたってさまざまな年齢・学年同士で交流を重ねた記録です。当ブログでも、昨年7月の記事にて、合同ピザクッキングのエピソードを紹介させていただきました。

 いわゆる就学前教育の場である保育所や幼稚園と、義務教育の開始期である小学校との間において、近年、両者の連携/接続の重要性が強調されることが増えています。そのときのキーワードとしてよくあげられるのは「円滑」や「段差をなくす」というもの。保育所や幼稚園から、小学校へ。学習内容はもちろん、生活面でもかなり大きな変化を伴う両者の間が、文字通り滑らかに通じていくことは、なんだか理想的な方向であるようにも聞こえます。
 いっぽうで、教科教育を中心とする小学校以降の教育実践と、遊びを中心とする総合的指導の保育実践に代表されるように、両者の間にはそもそも、なぜ制度の面や、学びの支えようの違いが大きいのでしょうか。そこからは、子ども自身の発達特徴をはじめとして、今のような対照的ともみえるシステムがつくられ、それなりの時間が積み重ねられてきたことには、何らかの必然性と、社会における意味があると読み取ることができます。

 義務教育である小学校は、社会の縮図でもあります。
 授業が好きな子もいれば、休み時間と給食に全力投球!の子もいるのが、よくあるしぜんな姿ではないでしょうか。
 
 近年あちこちで耳にする「社会」や「地域」というキーワード。それはすなわち、いろいろな人がいる場について考える、ということでもあります。それを包摂する場に求められるのは、ある、単一のやりかたや価値観に人々をまとめていく試みではなく、できるだけ多くの人が手応えを感じられる、多様なアプローチを準備することなのだと思います。
 生涯発達のどこかの時期で、誰もが何らかの手応えを感じられるように。
 私たちの社会と、未来をつくる、という視点からみたとき、“公”教育/保育の大切な役割は、そんなかたちで位置づけることができるでしょう。

 今回の実践からは、保育所の先生方と小学校の先生方が、互いの良さを尊重し、信頼し合いながら、それぞれの子どもたちを支えていくさまを学ぶことができます。
 一緒にする、とは、単に共通のものさしをつくることではなく、共通するねがいを、それぞれのよさを最大限に活かして実現できる方法を考え、実践すること。
 「日常」と「非日常」をキーワードに読み解くことができる、そんなちょっぴり素敵な「保幼—小連携」のありように興味を持たれたみなさん、よろしければぜひ、お読みいただけると嬉しいです!

 富熊保育所・小学校、丸亀市幼・小・保連絡研究協議会のみなさま。
 素敵な機会をいただき、ありがとうございました。今後の展開を楽しみにしております。

水曜日, 3月 26, 2014

給食のチカラ(松本)

 研究上のちょっとした必要があり、このところイギリスの保育・初等教育について、少し遡りつつ調べています。
 そんな中で何度か出会ったのは、表題の話。
 イギリスの給食制度 school mealsは、35年ほど前までは、伝統食も提供されるとても充実したものだったそうです。(ちなみに無償)
 それが、教育改革が叫ばれ始めたのを境に、予算削減の一環として民営化が行われます。最も低コストで受注できるのは、たいていの場合、グローバル展開している大規模ケータリングサービスの関連企業等。その結果提供されたのは『塩気の多いフライドポテト、ぐずぐずのグリンピース、ケチャップの塗りたくられた灰色のチキンソーセージ……』(ウェンディ・ウォラス(藤本卓訳)『あきらめない教師達のリアル:ロンドン都市裏、公立小学校の日々』太郎次郎社エディタス より)
 生活の基盤である「食べること」の、このような状況に疑問を抱いた人たちが声をあげ、ここ10年ほどは、徐々に改善が図られているようです。
 ご存じの方も多いのかもしれませんが(私は最近初めて知りました……)現地在住の小学生の手によって始まった、給食紹介ブログ NeverSeconds(=おかわりせんよ!)が興味深い&面白いです。最初の方のプレートの写真が衝撃!

 いま、日本でも保育制度改革が叫ばれ、議論が進められる中で、給食室のありようや外部委託問題等が話題になっています。
 生活格差や食経験の多様化が繰り返し指摘される現在、誰もに平等であるはずの保育・公教育における「給食」を、これからどんな存在として位置づけ、考えていくか。イギリスをはじめとする他国の歴史は、「グローバル化」という単一のものさしを使った「改革」により変化をもたらすことの容易さと、一度失ったプロセスを取り戻すことの困難さを、私たちに教えてくれているのかもしれません。

 五感を介して現れる「食」は、ヒトを自ずと前のめりにさせる力をもつもの。
 一緒に食べる誰かがいるからこそ、それはさらにおいしくなり、嬉しくなり、楽しくなる。
 人生のスタートとしての乳幼児期を、全ての子どもたちが豊かに踏み出せるように、保育の魅力をつくり、子どもたちの生活の基盤となる給食を、これからも大切に位置づけ、育んでいきたいものです。
 その要が、乳幼児と保護者のすぐそばにある、給食室の存在ではないでしょうか。

日曜日, 3月 02, 2014

切り替えるための時間と、それを支えてくれる仲間と(松本)

  気づけばまた3月。
  毎年恒例の、第一そだち保育園/第二そだち保育園(愛知県春日井市)の、1年の保育のまとめ会にお邪魔してきました。

  第一そだち保育園での議論は、1歳児の月齢大クラスについて。
  1歳半を過ぎて表象の世界に入り、徐々に生活の見通しが深まっていく。
  それは同時に、いろいろなことを覚えていられる、という記憶の世界に子どもが足を踏み入れたということでもあります。
  自我のめばえに記憶が加わりゆく2歳台。子どもの「自分で思ったことを、やってみたい」思いは自ずと強まっていくことでしょう。それは時に、生活場面などでの行動の切り替えの難しさとして現れるかもしれません。

  発達したからこそめばえる、自己主張やこだわり。
  いっぽうでこの時期は表象の深まりに伴って、支えてくれる大人の自分とは異なる思いに気づく土台ができてきます。とはいえ、だからすなわちうまくふるまえる、とは限らないのがヒトらしさです。
  時にはむしろ、支えてくれる大人のメッセージの正しさに気づき始めるからこそ、すぐにそれに従って切り替えにくいこともあるのでしょう。

  とある保育所でのできごとです。
  園庭に出て、3輪車で遊びたかった2歳半のみすずちゃん。
  数の限られている3輪車は既にみんなに使われていて、大泣きしてしまいました。
  保育者が丁寧に思いを聞き、声をかけてなぐさめようとしますが、遊びたかった思いはそう簡単におさまりません。

  そこにふと現れた、同じクラスで3歳になったばかりのひかりちゃん。
  「ミスズチャン、ダイジョウブ。ヒカリチャンガ、イッショニサガシテアゲルカラネ」と声をかけ、園舎の向こうにある倉庫に探しに行きました。
  3輪車は全て園庭に出ているので、あるはずはないのですが……。

  「ナイネー」「ナイネ」
  見えない倉庫の前で、きっとそんな言葉を交わしていたのでしょうか。
  しばらくして戻ってきた2人。みすずちゃんの顔から涙はすっかりひいて、いつもの笑顔が戻っていました。

  すぐにはできなくとも、支えてくれる仲間と、切り替えるための時間が準備されることで、子どもは少し前に進んでいける。
  そんな子ども同士の関係との時間を十分に保障する部分にこそ、乳児保育の専門性があるように思います。
  そんなことを改めて考えさせられた、まとめ会での議論でした。先生方に感謝です!




月曜日, 2月 03, 2014

思いを分かち合う一歩としての乳児期(松本)

 「子どもとつくる0歳児保育」(ひとなる書房)を一緒に執筆させていただいた愛知県春日井市・第一そだち保育園へ、ずっと出かけたいと念願していた「節分」を見に足を運びました。
 0,1歳児だけの乳児専門の保育所。
 0,1歳児に行事?! しかも節分?! と不思議に思う方も多いかもしれませんが、節分は、第一そだち保育園がその積み重ねてきた歴史の中で、とても大切にしてきた行事でもあります。

 合言葉は「怖いだけの行事にはしたくない!」
 いつもとちょっぴり異なる場面を前に、みんなで心動かせる行事に、との思いで、職員間で何度も話し合いを重ねます。そして今年は、子どもたちの大好きなゆかりおにぎりを、給食でおなじみのお櫃から出し、子どもたちの前で握って食べる鬼が登場、という展開に。
 園庭につながる外階段でのおにぎりパフォーマンスの後、1歳児クラス&0歳前半児クラスには直接登場!
 柊と鰯に撃退されたり、みんなの豆まきで逃げていく、おなじみの姿も味わえます。
 ご飯に見たてた綿が、手袋の静電気でうまく握れない!という予想外のハプニングもあったけれど、後に落ちていた綿のかけらを見つけた1歳児たち、オニサン、タベテタ! パラパラシタネ!と思い出しながら話していました。
 その日の給食は、おにぎり。そしてオヤツは、かわいい鬼のホットケーキでした。 

 一緒にさがし、一緒にのぞいて、一緒におどろき、一緒に豆を投げ、そして一緒に安堵する……
 ドキドキ感も、喜びも、こうやって誰かと分かち合える人生を、温かい大人たちのまなざしの下でスタートできる子どもたちの幸せさを、改めて感じた一日でした。
 そんな時間を、できるだけ多くの子どもたちにプレゼントしたいものです。
 そのための仕事を、これからも積み重ねていきたいと思います。

火曜日, 12月 31, 2013

「食」が広げる豊かな保育(松本)

  2013年もまもなく終了。
  今年の締めは、12月1日に出かけた「全国保育所給食セミナー」のことをちょっぴり、書きたいと思います。

  食の都・京都にて、保育者と給食担当者の双方にいらしていただいた前でお話ししたのは「保育の力は食によって深まり、食の力は保育によって広がる」ということでした。
  「ともに食べる」ことでヒトはちょっとほっこりしたり、気持ちが落ち着いたり、笑顔になれたり……。
  緊張する初対面の場ではお茶を出したり、もっと話したい時は「まあ、ちょっと一緒に食事でも」と誘ったりするのも、きっとヒトが、歴史を経て生み出した知恵のひとつなのでしょうね。
  そんな、日常に埋め込まれている所作でありながら、特別感がある「食」の場面は、子どもたちにとって特別な思い出に残る経験と結びつきやすいのではないでしょうか。その姿を目にすることで、保育者はまた、普段とは異なる子どもの姿を発見できるかもしれません。つまり食と保育がつながる魅力は、「おいしく食べる」はもちろん、それを越えた明日、そしてあさっての保育を、より豊かにつくる手がかりを提供する点にこそあるのでしょう。

  大泣きしている子が、だっこされて給食室の前にでかけると、ふと気分が変わる。
  子育ての初期、「食」の心配を遠く離れた専門家にいきなり相談することはハードルが高すぎるけれど、身近にいて、いつも声をかけてくれる給食の先生には、ちょっと話してみようかな、と思える。
  ヒトを介して、ヒトらしい学びを成り立たせていくまっただ中の時期である乳幼児期に、給食室がすぐそばにある保育が保障されることの意義は、想像以上に大きいものだと感じます。

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  2013年。私個人としては、保育と芸術士、保育とミュージアム、そして保育と給食などなど、いくつかの大切な出会いを土台に、保育と子どもの明日、そしてあさってをより豊かにしうるだろう、さまざまなつながりを考え始めた年でもありました。
  キーワードである「日常」と「非日常」をベースにしつつ、2014年も引き続き考え、研究を進めていきたいと思います。

  旧年中は大変おせわになり、ありがとうございました。
  みなさま、よい年をお迎えください。
  新年もよろしくお願いいたします。

火曜日, 11月 19, 2013

「仲間とともに考える」五歳児保育をどうつくるか(松本)

次のエピソード。香川・こぶし花園保育園の、ある年の5歳児クラスでのできごとです。
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 園の近所にある障害児通園施設「タンポポ園」によく遊びに行かせてもらう5歳児めろん組。今年度も6月から、月に1度の割合でお邪魔させてもらっています。
 運動会前の9月のある日、玉入れをしました。保育者が手伝うというハンディをつけた結果、勝ったのはタンポポ園の子どもたち。めろん組の子どもたちは大泣きしたり怒ったり。悔しさのあまり、みんなが帰る段になっても「もう帰らんっ!」とすねて声を上げる子もいました。障害を持っているタンポポ園の子に対してでも、勝負事になったらこんなに熱いんか……と担任も驚くほどです。
 運動会も終わった10月のその日、前回に起こったそんなことはすっかり忘れてタンポポ園に再び遊びに行きました。そんなめろん組の子どもたちに対し、タンポポ園の保育者は開口一番「今日は玉入れしましょうか!」と提案します。「???」「あぁー?」とめろん組の子どもたちも、担任も驚きました。
 はじめは、めろん組だけで2組に分かれて玉入れをしました。次にいよいよ、タンポポ園の子どもたち対めろん組の子どもたちの番です。そこでめろん組から「タンポポ園の子も同じヤツ(条件)でして」と声が上がり、大人の助けなし、両者同じ条件で玉入れ対決をすることにしました。
 結果は、めろん組のみんなの勝ち。
 いっぽうのタンポポ園のみんなは、1コも入らなかったのです。

 それを見て、静かになっためろん組の子どもたち。
 しばらくすると声が上がり始めました。「じゃあ、箱を先生が持って、その中に入れることにして」「でもちゃんと揺らしてよ」と子どもたち。「こう?」とタンポポ園の保育者。「ちがう! もっとこう歩いたりするんや」「わかった。こうやね。」「先生たちは、手伝ったらいかんよ!」「わかった!」と話が進んでいきます。
 そうやって自分たちでルールを決め、納得したうえで、改めて玉入れに臨みました。
 めろん組は普通のカゴで、タンポポ園の子どもたちは、保育者のもつ箱で。
 結果は、僅差でついにめろん組の勝ち。めろん組のみんなは、大喜びで帰路についたのでした。
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 どうすべきかを大人が投げかけるのではなく、5歳児同士で考え合うプロセスと結論を信頼するまなざしのもとでめばえたものは何か。
 雑誌『現代と保育』(ひとなる書房)87号連載に、上記のエピソードも含め、表題のタイトルでまとめました。
 よろしければ、お読みいただけると嬉しいです。

土曜日, 11月 09, 2013

保育者間の“信頼”によって切り拓かれる子どもの可能性(松本)

 先日、香川県の幼児教育支援員という仕事で、香南こども園(高松市)に出かけ、4歳児の保育を見せていただき、園内研修にお邪魔してきました。
 香南こども園は、2012年にスタートした、高松型の「こども園」の一つ。
 幼児の各クラスには幼稚園籍と保育所籍の子どもがおり、保育士と幼稚園教諭が、ともにクラス担任として保育に携わっています。小学校風に言えば、チームティーチングの形式です。

 この日の主活動は、ホールでのグループ対抗のゲーム。
 ゲーム前に行う遊びをグループ毎に選び、ホールに移動……となるかと思いきや、1つのグループは意見がまとまらず、保育室に取り残されてしまいました。
 子どもは5人。「股くぐり」がしたい子が4人。「マット押し」がしたい子が1人。
 この日はサブの役割をしていた、B保育者がそばについて話し合いです。
 それぞれの思いを改めて確認したところ、マット押しを主張する子に向けて「(意見が)1人になった!」と口にしたPちゃん。
 それを制しつつ「(マット押しがしたい)Qくんの気持ちもあるよ」と問い直すB保育者。
 聞けばQくん「この間くぐり抜けしたから、今日はマットにする」と。
 なるほどそれもごもっとも。話し合いは続きます。
 それぞれ、一生懸命自分の思いを言葉にして伝える子どもたち。ふと思い立って「(股くぐりの)トンネル、どうしてもしたいん?」と自分から仲間に問いかけてみたり……。
 でも、ホールに行った友だちの歓声が遠くから耳に入る中、早く行きたい思いもあって、決めきるのはちょっと難しかったようです。しばしの後、「他のチームが何をしているか見てこようか」とB保育者に気持ちを切り替えてもらい、続きはホールで、ということになったのでした。

 多数決やじゃんけんで決めれば、計画にそってスムーズに実践は進んだことでしょう。 研究保育で、私をはじめ観覧者が多々いる場。保育者としてはきれいに納めたくなっても無理のない状況だと思います。
 でも、そこで子どもたちについていたB保育者は、そうはしませんでした。時間をかけても自分の思いを言葉にして、互いに考え合うことがこの子どもたちには必要である、という思いが、B保育者の中ではっきりしていたからこその働きかけだったのでしょう。

 さて、ここでの実践を成り立たせたポイントは何でしょうか。その一つは、B保育者の抱く明確な子ども像にあることはもちろんでしょう。が、それに加えもう一つ忘れてはならないのは、この日主担任だったA保育者との関係ではないかと思います。2人の間で、育みたい子ども像が共有され、互いの関わりを信頼し合えている関係が、このような援助を可能にしたのだろうということです。

 もし、B保育者が、子どもたちではなく「事前の計画通りすすめること」が気になっていたら、この場で時間をかけ、話し合って決めようとするプロセスを支えることは難しかったでしょう。また、仮にA保育者1人のクラスであれば、他の4つのグループを残しながら、1つのグループの話し合いに十分に付き合って、子どもの言葉と思いを受けとめきることもまた、難しいのが現実かとも思います。
 アイコンタクトを交わし、先にホールへと移動したA保育者からの「今、このグループの子たちに、時間をかけて言葉を紡ぎ、考え合うプロセスを保障してあげたい」という思いが伝わったからこそ、B保育者はじっくりとこのグループに付き合うことができたのでしょう。

 実際の話し合いで子どもたちが決めきれなかったのは、頭の中で考えることばを使い始めたばかりの4歳児ゆえの発達的な限界もあったことと思います。とはいえ子どもたちには、話し合いで実際に決められたか否か以上に、このような場を体感できたこと自体が、これから自らの思いをことばにして、仲間との間で折り合いをつけながら考えていく土台となる、ひとつの大きな財産となったのではないでしょうか。
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 ところで、このグループ。かわいそうに。この日、本番のゲームでは1度も勝つことができませんでした。
 負けたらとてもくやしい。入れ込んでいるからこそ、怒ってすねたくもなる。
 でも、それを言葉にすることは、くやしかった自分の思いとちょっぴり向き合い、次につなげていく力になる。
 それは、葛藤する思いに共感し、信頼してくれる誰かがそばにいるからこそ可能になるのでしょう。

 葛藤しているからこそ、言葉にするには時間がかかることもある。
 欠けている部分ではなく、歩み出そうとする子どもの姿を信頼し、背中を押せる保育実践は、1人の力を越えて、保育者間の“信頼”が土台となったときにより豊かに育みうることを改めて学ぶことができました。
 ありがとうございました。これからの子どもたちの姿が楽しみです。