金曜日, 6月 10, 2022

5/31ゼミ『外して、広げる』by Yuriko

 こんにちは!松本ゼミ4年の槇優梨子です。

 今年度からゆなちゃんが松本ゼミに加わりました! これからまた新たな松本ゼミのみんなで楽しく交流を深めつつ、様々なことを考えたり、そこから学んだりしていけたらいいなと思います!

 今回は私が、はじまりの第1章『外して、広げる』(ブレイディみかこ(2021)他者の靴を履く アナ―キック・エンパシーのすすめ(文芸春秋)p1~37)のまとめを担当しました。

 主なテーマは『他者理解』についてでした私はまず、ゆなちゃんの「他者理解は自分をモデルにしなければ(自分の経験が邪魔をしないので)いいのではないか、でも人間は何かを基準にしなければそもそも理解をすることが難しい」という意見に対して、なるほどと思いました。確かに自分の経験から学んだことを良くも悪くも自分の価値基準にして、何かを判断しています。そしてそれは人間ならば誰しもが自然と行っていることです。でももし生まれてから一度もなんの経験もしていないとすれば、きっと物事を偏見なく見ることが出来るだろうし、他者をそのまま受け入れることが出来るのかもしれないと思います。でも、もし今まで一度も誰かに助けられたことがない、誰かが誰かを助ける場面を見たことがないのならば、たとえ偏見なく他者を見ることが出来たとしても、助けるという行為はきっと思いつかないので、人間の経験は決して悪ではないだろうとも思います。

 

では様々な経験を持った私たちが、自分の靴をちゃんと脱いで、他人の靴を履くことは可能なのでしょうか。話し合いの中で『カウンセリングマインド』という言葉が出てきました。情動的ではなく、知的な形での共感。確かにそれは自分の靴を脱いで、他人の靴を履くことにとても近いと思います。でも、それはカウンセリングにとっては大事な心の活動ですが、現実生活の中でそのような共感をし続けるのは不可能であるとともに、それに相手が気付いた瞬間「ああ、形式的なものだったのか」となんだか虚しくなってしまうこともあります。そして、そもそも自分が手に入れたい『他人の靴を履く』行為はたぶん知的な形での共感ではなく、現実生活における情動的な共感だけど偏りが少ないというような状態であって、カウンセリングマインドは少し違うのかなとも思いました。


そんな中でわかなが「どんなに自分が『絶対履けない!履きたくない!』と思うような靴でも、一旦何も考えずに履いてみる。そして履いた状態で動いてみると、なんだか少しずつ馴染んできて今まで見えてこなかった景色が見える。これが大事なのかも。という話を例とともにしてくれました。私はそれまで『履く』という行為にしか焦点を当てていなかったけれど、履くだけじゃなくて履いた状態で動いてみるとたしかに、履いた時はあった自分の偏見や嫌悪感が無くなるとまでは言わなくても、動いているうちに何かしらの変化をもたらしそうな気がします。もちろん「私の靴を履いたつもりになっているけど、それは履けていない!」と言われ落ち込むこともあるかもしれないけれど、履いて動いてみる中で見えた新たな視点は決して無駄にはならないだろうなとも思いました。

 

今日の話し合いを経て、自分とは違う経験をした人と関わる機会を増やす、自分が今まで触れてこなかったものに触れてみる、とりあえず一旦その経験を深めてみる(履いて動いてみる)。そんな自分にとって「新しい!」という経験が一つ増えると、その次にそれに関連した物事に触れたときはもうそれが「新しい!」ではなく、前の経験がより深まる経験となるなと気付きました。そうやって知っていることがたくさん増えたり、いろんな人の視点に気付く経験を積み重ねたりしていくことで、無意識的に多面的な見方ができるようになり、すぐに物事を断定しなくなり、それが『自分の靴をちゃんと脱いで、他人の靴を履く』ことにつながっていくんじゃないかなと思いました。

 

久しぶりに本を読んで考える活動をしましたが、みんなで話し合うことで、自分がまとめを作っているときには意識しなかった部分に気付けたり、みんなの新たな視点を取り入れたことで自分自身としての考えをより深めるきっかけとなったりするので、改めて大事な時間だなあと感じました。これからの本の展開とともに、私たちの中でどのような視点や考え方が生まれていくのかがとっても楽しみです。