水曜日, 3月 26, 2014

給食のチカラ(松本)

 研究上のちょっとした必要があり、このところイギリスの保育・初等教育について、少し遡りつつ調べています。
 そんな中で何度か出会ったのは、表題の話。
 イギリスの給食制度 school mealsは、35年ほど前までは、伝統食も提供されるとても充実したものだったそうです。(ちなみに無償)
 それが、教育改革が叫ばれ始めたのを境に、予算削減の一環として民営化が行われます。最も低コストで受注できるのは、たいていの場合、グローバル展開している大規模ケータリングサービスの関連企業等。その結果提供されたのは『塩気の多いフライドポテト、ぐずぐずのグリンピース、ケチャップの塗りたくられた灰色のチキンソーセージ……』(ウェンディ・ウォラス(藤本卓訳)『あきらめない教師達のリアル:ロンドン都市裏、公立小学校の日々』太郎次郎社エディタス より)
 生活の基盤である「食べること」の、このような状況に疑問を抱いた人たちが声をあげ、ここ10年ほどは、徐々に改善が図られているようです。
 ご存じの方も多いのかもしれませんが(私は最近初めて知りました……)現地在住の小学生の手によって始まった、給食紹介ブログ NeverSeconds(=おかわりせんよ!)が興味深い&面白いです。最初の方のプレートの写真が衝撃!

 いま、日本でも保育制度改革が叫ばれ、議論が進められる中で、給食室のありようや外部委託問題等が話題になっています。
 生活格差や食経験の多様化が繰り返し指摘される現在、誰もに平等であるはずの保育・公教育における「給食」を、これからどんな存在として位置づけ、考えていくか。イギリスをはじめとする他国の歴史は、「グローバル化」という単一のものさしを使った「改革」により変化をもたらすことの容易さと、一度失ったプロセスを取り戻すことの困難さを、私たちに教えてくれているのかもしれません。

 五感を介して現れる「食」は、ヒトを自ずと前のめりにさせる力をもつもの。
 一緒に食べる誰かがいるからこそ、それはさらにおいしくなり、嬉しくなり、楽しくなる。
 人生のスタートとしての乳幼児期を、全ての子どもたちが豊かに踏み出せるように、保育の魅力をつくり、子どもたちの生活の基盤となる給食を、これからも大切に位置づけ、育んでいきたいものです。
 その要が、乳幼児と保護者のすぐそばにある、給食室の存在ではないでしょうか。

日曜日, 3月 02, 2014

切り替えるための時間と、それを支えてくれる仲間と(松本)

  気づけばまた3月。
  毎年恒例の、第一そだち保育園/第二そだち保育園(愛知県春日井市)の、1年の保育のまとめ会にお邪魔してきました。

  第一そだち保育園での議論は、1歳児の月齢大クラスについて。
  1歳半を過ぎて表象の世界に入り、徐々に生活の見通しが深まっていく。
  それは同時に、いろいろなことを覚えていられる、という記憶の世界に子どもが足を踏み入れたということでもあります。
  自我のめばえに記憶が加わりゆく2歳台。子どもの「自分で思ったことを、やってみたい」思いは自ずと強まっていくことでしょう。それは時に、生活場面などでの行動の切り替えの難しさとして現れるかもしれません。

  発達したからこそめばえる、自己主張やこだわり。
  いっぽうでこの時期は表象の深まりに伴って、支えてくれる大人の自分とは異なる思いに気づく土台ができてきます。とはいえ、だからすなわちうまくふるまえる、とは限らないのがヒトらしさです。
  時にはむしろ、支えてくれる大人のメッセージの正しさに気づき始めるからこそ、すぐにそれに従って切り替えにくいこともあるのでしょう。

  とある保育所でのできごとです。
  園庭に出て、3輪車で遊びたかった2歳半のみすずちゃん。
  数の限られている3輪車は既にみんなに使われていて、大泣きしてしまいました。
  保育者が丁寧に思いを聞き、声をかけてなぐさめようとしますが、遊びたかった思いはそう簡単におさまりません。

  そこにふと現れた、同じクラスで3歳になったばかりのひかりちゃん。
  「ミスズチャン、ダイジョウブ。ヒカリチャンガ、イッショニサガシテアゲルカラネ」と声をかけ、園舎の向こうにある倉庫に探しに行きました。
  3輪車は全て園庭に出ているので、あるはずはないのですが……。

  「ナイネー」「ナイネ」
  見えない倉庫の前で、きっとそんな言葉を交わしていたのでしょうか。
  しばらくして戻ってきた2人。みすずちゃんの顔から涙はすっかりひいて、いつもの笑顔が戻っていました。

  すぐにはできなくとも、支えてくれる仲間と、切り替えるための時間が準備されることで、子どもは少し前に進んでいける。
  そんな子ども同士の関係との時間を十分に保障する部分にこそ、乳児保育の専門性があるように思います。
  そんなことを改めて考えさせられた、まとめ会での議論でした。先生方に感謝です!