土曜日, 3月 16, 2013

信頼関係を結ぶとは?:とある保育園のお話(松本)


 初めての地への転居は、誰でも不安がつきもの。何とか引っ越しも終え、新しい保育園が決まったMさん、3月下旬のまだ新しい町のこともわからぬその日に、娘たちを連れてまずは保育園の見学に出かけました。
 一通り遊んで、帰り際に「よければ、また遊びに来てね」と声をかけてくれた園長先生。社交辞令かな、と思っていると、「もし来られるならば、○時ころに保育が始まるので……」と言葉が続く。え、入園前なのに本当に出かけていいのかな?  でも、見知らぬ土地でのそんな心配りがとても嬉しかったMさん。これは幸いと、3月の残り数日、毎日のように午前中、入園予定の子どもたちを連れて保育園に出かけました。その甲斐あって、子どもたちは園に、Mさんも少しずつ新しい町に慣れてきました。

   そして、明日がいよいよ正式の入園という3月31日、この日の4歳児の活動はクッキーづくりです。
   クラスの子どもたちは、お昼寝の間に給食室で焼いてもらい、おやつに自分で作ったクッキーをいただきます。
   でも、Mさんの長女Tちゃんはまだ正式の入園前。お昼ご飯前に帰らねばならず、おやつの時間までいることはできません。
   「Tちゃんの分、とっておかなきゃね」とさらっと口にした主任のK先生。でもまさかねぇ…入園もしていないのに仲間として一緒にクッキー作りまでさせてもらい、ちょっと気を利かせてなぐさめの言葉をかけてくれただけでも十分と思っていたMさん。K先生の何気ないひとことを、そのときは特に気にもとめませんでした。

  明けて4月1日、いよいよ入園の日がきて、Tちゃんは5歳児クラスに加わりました。
  この日に、Tちゃん、そしてMさんが一番驚き、嬉しかったこと。
  その日のTちゃんのおやつには、みんなと同じおやつに加え、K先生の言葉どおり、一人だけ昨日のあのクッキーが添えられていたのです。
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  同じように配慮する、とは、誰もに同じオヤツを出すことではなく、それぞれの立場に思いを馳せて、誰もが気持ちよく、日々を豊かに過ごせるよう支えること。
  信頼関係とは、特別ではない、そんなあたりまえの積み重ねの先に結ばれていくことを、このエピソードは改めて私たちに教えてくれるように思います。

  2年前の春、とある保育園で本当にあった話です。

水曜日, 3月 13, 2013

たかまつ地域のみんなで子育て新聞 vol.6 発行になりました(常田)

「たかまつ地域のみんなで子育て新聞 vol.6」が発行になりました。
そろそろみなさんのお手元に届いた頃ですね。

子育て新聞は今回が最終号です。

1年半の期間、子育て新聞に関わらせていただいて、さまざまな地域を取材し、地域づくりに尽力される多くの方にお会いすることができました。
安全・安心な街、整備された公園、清潔な街…どれも私たちにとって大切なものばかりです。でも、私たちは普段、それを作ってくれている「誰か」のことは忘れています。
「たかまつ地域のみんなで子育て新聞」では、そんな私たちの生活を陰から支えてくれている人や活動について、できるだけその人たちの顔や思いが見えるようにお伝えしてきました。


『恋し、結婚し、母になったこの街で、おばあちゃんになりたい!』

これは、2000年に松山21世紀イベント委員会が開催した「だから、ことば大募集」というイベントで松山市長賞を受賞し、 その後「この街で」という歌にもなった詩です。こんなふうに思える故郷があるのは本当に素晴らしいことです。そして、そんなふうに人々に思わせる街には、必ずその街の魅力を作ってくれている「誰か」がいます。


「地域づくり」「地域参画」などと言うと難しいことのように感じてしまいますが、実は、私たちが大好きなこの街の魅力を作ってくれている「誰か」に思いを馳せることが、すでに地域づくりの第一歩なのですね。
『恋し、結婚し、母になったこの街で、おばあちゃんになりたい!』
そんなふうに思える街を子どもたちにプレゼントできたらステキだなと思います。

土曜日, 3月 02, 2013

乳幼児期の豊かさとしての“ムダ”(松本)

前回の記事で触れました、香川大学メールマガジンに載せた記事について再掲します。
旧ブログでは載せましたが、考えてみればこちらには載せていなかったので…。
昨年4月に書いたものです。

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 ある教え子から聞いた、彼女が4歳頃の思い出です。

「……幼稚園のテラスの水道で友だちと2人で手を洗っていたときに、突然友だちが『私、石けんで顔を洗っているときに目、開けられるよ!』と言って実践してくれたのを覚えています。それを見た当時の私は衝撃と感動でいっぱいになり、その日帰ってから練習したのを覚えています。……今考えるとマジでどうでもいいことですけど、当時はかなり重要な使命に思えていたみたいです。……」

 幼児期のうちに「石けんで顔を洗うときに目を開ける」技ができないと、大人になったときに困ったり、逆にそれを身につけると、これからの人生がすばらしく切りひらかれたりするでしょうか。もちろん!そんなことはないでしょう。
 
 考えてみれば、乳幼児の行動は、大人の視点から見れば「ムダ」に見えることだらけです。いっぽうで、そんなことに熱くなり、夢中になれるのはこの時期ならではでしょう。タンポポを見つけて目を輝かせ、石ころ集めに熱中し、ちょっと高い崖から飛び降りるチャレンジに胸をどきどきさせる……いずれも将来“役立たないこと”だらけですが、逆説的にいえばそんな行動に夢中になれること自体が、加齢に伴い見えなくなってしまう、乳幼児期の本質と言えるかもしれません。


 「ムダ撲滅」に代表されるような、有用性=役に立たねばならないという圧力の強い昨今です。子どもの立場から言えば「これから社会に出たら困るでしょ!」というプレッシャーにさらされ続ける日々のようにも思います。しかしながら「役に立つ」という概念は、実はとてもゆらぎやすいものです。誰にとって、何のために役に立つか、立場によってその答えは異なります。そして、いずれの立場から語るにせよ、「役立つことがわかる」と事前に判断できるのは、問いや目的が既に自明である場合においてのことでしょう。

 「未曾有の災害」という言葉が使われて1年が過ぎました。私たちは生きる中で、問いや目的が事前に与えられているケースばかりに遭遇するわけではありません。よく発見・発明は「ムダ」から生まれると耳にします。それはなぜか? 実はヒトが新たなものを生み出し、前に進むためには、問いや目的がみえない中で「ムダを重ねる」時間こそが鍵となるからでしょう。

 自明の問いを短時間でいかに効率よく解決し、目的へ至るかという目に見えやすい力だけではなく、新たな場面で、問いや目的そのものを編み出す力をいかに育むか。乳幼児期に“ムダ”な時間を保障することは、ヒトという種、そして私たちの社会が希望をもって新たに歩むために欠かせないことのように思います。微力ながらその手がかりとなることを願いつつ、乳幼児の発達研究に尽くす毎日です。