14.6.18

ゼミ その2: 11th Jun 2018(みほ)

失礼します。
松本ゼミ3年のみほです。

6/11のゼミの報告をさせていただきます。
この日の15分せんせいは、さとみ先生でした。乳児を対象にしたかたつむりの製作を考えてきてくれて、みんなで殻や身体に模様をクレヨンで描いたり丸シールで貼ったりして、それぞれのかたつむりを完成させました。
好きな色の画用紙を選び、自分の思い思いに描いたり貼ったりできる活動は、きっと小さな子どもたちは大好きなの夢中になるだろうなあと思いました。ゼミのみなさんも一人一人違った工夫が見られて、自分だけの素敵なかたつむりができていました。今の季節にぴったりで、今回もゼミ室の窓に飾りました。並ぶとより一層かわいくて癒されます。

さとみ先生ありがとう!

また、この日は教研の院生である田中さんも来てくれていたので、いつもとは違った話もしながら楽しむことができました。田中さんの私たちにはない視点から考えた話やアイディアはとても参考になり、良い刺激になりました。ありがとうございました。





13.6.18

ゼミ: 11th Jun 2018(田中志歩)

 今日は、初めての松本ゼミ参加。少しの緊張感がありましたが、15分せんせいのかたつむりづくりの時間によって和やかな雰囲気でのゼミとなりました。
かたつむりまた作りたいなあ。

 松本先生がSkype参加をしたところで、本日は『レッジョ・エミリアやニュージーランドの保育者には「子ども」がどのように見えているのだろうか [大宮勇雄, 2007, 現代と保育(ひとなる書房)69, 6-37] 』を用いての議論を始めました。
 私は専門が国際なので、畑の異なる幼児研究者たちの意見は新鮮なものが多く、今まで学会などで経験したものとは異なる視点からの文献への切り口に最初は圧倒されながら、徐々に(?)意見を交わすことができたのかなあと思います。

 昨日の議論の中で主に話し合われた内容は「子どもを肯定的に見るとは」という点でした。
「肯定的に見る」ことは、はじめ、私はこのフレーズが分かるようでわからない。
そもそも、肯定的って何だろう。そんな?(はてな)が頭の中でいっぱいだったけど
みんなで、話をしている中で、保育者や大人が子どもの行動のみを見るのではなく、その子がどういった気持ちでその行動をする。評価をするのは、できた・できないの短絡的なものではなく、そのプロセスも含める。等の考えをシェアすることができました。

 私は、ゼミが終わってから、もう一回「肯定的」について考えてみたら
「寛容的」であることが人と関わるうえで重要なのではないかなあと。
 いろんなことに、答えはないし、答えはいっぱいあるけど
 いろんな問いに対して、自分なりの考えで、自分なりの答えを持って
 いろんな問いに当たっていけばいいのかなあと。
 そんなことを考えさせられた初めてのゼミでした。

 先生のおうちのお庭の、バラがたくさん咲いていてきれいでした。
 日本は紫陽花と菖蒲が雨粒にぬれて柔らかな雰囲気を醸し出す季節となりました。
 写真は、近所の紫陽花です。いろんな色が咲いててうれしいなあ。






11.6.18

ことばの問題(松本)

こちらに来て2ヶ月半。
ここしばらく、話す力の低下を強く感じるようになりました。
主観的には「まあまあダメ」だったのが「すごくダメ」になった感じがしています。
ダメさに磨きがかかるのも困ったものです。

理由はいくつかあると思うのですが、その一つは、ここしばらく、とある論文の修正にかなりの時間を割いていたことです。
私の場合は、母語は日本語、これまで通っていた教育機関も全て日本なので、ある水準までの論理的なツメは日本語で進めていきます。最終的な表現型が英語の場合、そこに多少の英語のフレーズが混じることはあっても、論理の柱は間違いなく日本語です。
自然科学を中心に、数値が表現の中心の場合、論理の柱の言語は数式や数字!ということもあると思うのですが、文化や歴史の問題が絡む社会科学の場合、なかなかそうはいかない気がします。
つまり、論文をまとめたり、それに伴う論理的な思考を進めているときは、たとえそれが表面的には英語であっても、実際のアタマの中では日本語で作業している、ということになるわけです。
しかも、そういう作業をしてるときは当然ですが、同僚との会話も少なくなる。
毎日の学校生活から、次々に吸収していく子どもたちや、語学学校に通い始めた妻に比べて、圧倒的に経験が足りなくなるというわけです。あれまあ。

マイナス面だけでは哀しいので、ことばに関して、逆に、この2ヶ月半でややましになったというプラスの面を頑張って探してみると。。。

1) 英文メールを書くのが早くなった
 これは間違いなく、仕事関係はもちろん、学校や生活面での各種手続き(問い合わせや苦情含む)で、やたらめったらメールを書きまくったせいです。よく言われる、イギリスの不便さのおかげかもしれません。。。電話の時代だったらどうなっていただろう。。。

2) 聞き取り力がちょっぴり上がった
 こちらに来た時点では、研究ほか仕事に関することは、7割わかる(=3割わからん)という感じだったのが、ほんの少しましになったかな、と思います(8:2くらい+いくつかの聞き取り間違い、というのが最近のパターン)。
 日常会話は、その逆に8割わからん!でスタートしたのが、ほんの少しましになってわからんのが7割くらいに。(ましといえるのかどうか。。。)
 しかし、研究にせよ日常会話にせよ、意識して聞こうとしないと、なんだかよくわからないことには変わらない。特に、同僚同士の頭上を飛び交う日常会話については???のことが大半です。。。

3) 速読傾向が強まった
 これは、↑にも書いたようなメールのやりとりや、仕事の中身もこちらに来て意識的に英語のものを増やしているので、まぁそうかなあと思います。速読すればするほど、読み間違いも増えますが(これは日本語も同じですね)。

こんな現状です。
こうやって改めて書いてみると、どれも自分なりには合理的というか、納得のいく理由があるなと思います。
ということは、やっぱり語学の上達には近道や魔法はなくて、これまで積み重ねてきたみちすじと、わりにシンプルに直結すると考えてよいのかもしれません。

ことばの中でも、特に語彙の問題は、過ごしてきた文脈と密接に関係していくはずです。
時折聞くように、1年間海外で過ごせば、その国のことばがペラペラになる!はずはなくて、それが思春期であれば、思春期に特有の語彙が増える、学生時代であれば、学業や学生生活の、専門分野に関わる学会であれば、そのやりとりに使われる語彙が増える……ということになるのでしょう。
もちろん個人差はあると思うのですが。

考えてみれば、今の状況は、イギリス人同士の日常会話を聞いて、自分の言葉をそこに重ねていく経験がほぼなかったこれまでの人生を振り返ると、当然の結果ですね。
これまで、短期訪問のときは語学に関してはたいてい諦めて、しゃべれる人より面白い人だと思われよう戦法!で突破してきたのですが、長期滞在となるとそうはいきません。

こちらに来て以来、日常会話では「一言余計に話そう!」を心がけてきました。
でも、どうもそれだけでは足りない。このギャップを埋めるパーツをどこに探しにいくか。
ひとりでパブへ飲み歩くわけにもいかないので、できることを考えて、残りの時間でまだまだ諦めずに、家族と一緒にチャレンジしてみたいと思います。
結果は、またいずれ。。。

1枚目の写真、樹上に白いリスを見つけました。
2枚目は夜9時すぎ。ようやく夕闇が見えてきた時間です。






4.6.18

ゼミ: 28th May 2018(なるみ)

先日のゼミでの15分せんせいの報告をさせていただきます。

5/28のゼミのせんせいはみほ先生でした!
ビニール袋にお花紙を詰めてカラフルてるてるぼうずを作りました。色とりどりのお花紙や丸シールがあって未満児さんにとって視覚的にも楽しめるし、お花紙を丸めて袋の中に詰めたり、丸シールを貼ったりすることでも楽しさを味わえる製作だなと思いました。みなさんシールの貼り方やお花紙の詰め方を工夫して自分なりのかわいいてるてるぼうずを作っていました!ゼミ室の窓の上に吊るしているのでこれで梅雨も乗り切れそうです!
みほ先生ありがとう!


28.5.18

Canterbury Arts Conference 2018(松本)

Canterbury Christ Church Universityの同僚の先生を介してご縁があり、研究のサブテーマの一つとして取り組んでいるアートと保育について、ちょうど、ここCanterburyにて開催される会議にて話をさせていただくことになりました。概要は以下になります。
http://www.cartscon.com/speakers/

少し前のものになりますが、4年ほど前に、香川県立ミュージアムにて、関係者のみなさんと力を合わせてつくった「小さなこどもの観覧日」の取り組みについて報告してくることにしました。
鑑賞の場に連れて行かれるのではなく。幼児が作品を「鑑賞したくなる」とき、そこに何が起きているのか。
それぞれ、文化的背景も専門も異なる場で、どんなことを共有できるかを楽しみにしながら、当日に臨みたいと思います。終了後にまた報告しますね。

20.5.18

Good girl! (松本)

学校編第3弾は、小学校編のPart 2。
一連のシリーズ?をしめくくるのは、三女のエピソードです。
日本で小1を終えた7月生まれの彼女は、同学年で最も年少の一人として、Primari School(小学校)のYear3に編入されました。
小学校は、徒歩30分ほどの、定員に空きがあった公立学校です。
検定教科書があるわけではないので、教育の中身はかなり各校・クラス毎の個性があります。

渡英時の彼女の英語力は、一言でいうと「ダメだこりゃ」のレヴェル(ごめん)。
ハロー、サンキューの他は、ABCすら怪しい……。
同年齢で比べても、英語教室に通っているなど、英語教育に熱心な家庭の子はもちろん、英語に少しでも関心がある子の方が、間違いなく彼女の英語力を上回るはずです。

英語はダメでも、数ならばユニバーサル。算数はきっと大丈夫かな、と思いきや、学校でやっているのはかけ算(日本なら2年生で履修)を通り越して、割り算。
残念なことに、これも全くわからない……。

にもかかわらず、憧れの革靴を履いて元気に通い始めた彼女は、親切なクラスメートや先生のおかげもあってか、何の戸惑いもためらいもなく、ある意味で同じ学校に通う姉以上に、あっという間にクラスと学校生活に馴染んでいきました。
学校に出かけた2日目。「大ニュース!隣のクラスに(お母さんが)日本人の子がいた!」と教えてくれました。一緒にゴハンを食べたというので、よかったね、その子が誘ってくれたのかな?と聞いてみたら「うううん。(私がその子を)みんなと一緒にたべよう、とさそって、一緒にご飯食べてあげた!」とのこと……。ん!?
……。
おぬし、なかなかたくましいのう。

既に、授業中でも挙手して何度か発言しているようです。
(本人いわく「わかったから、あげてみた」とのこと……。)

家では、「ねえねえ『みんなオッケー。レッツゴー!』ってエイゴでなんて言うの?」等々、とぼけた質問を連発している彼女。
学校のあれこれをよく見ていて、しっかり教えてくれます。
最近のクラス集会に向けての練習の様子を聞くと「日本だと、はい、姿勢を正してお山座りをして、しっかり声出して、って感じでしょう? こっちだと全然違う。先生、(子どもが)何かしたら、かならず  "Good! good! good!" "Good girl! Good boy!" って。」
だそうです。
そうか。なーるほど。

そんな彼女は、学校に行き始めて4週間足らずで、少しずつ会話の中に自然に英語のフレーズが混じりはじめました。
とはいえ、何か言われて"Ok" もっとほしいときに"One more" 相づちに"Yeah"といった程度ですが。。。
______

このように三者三様ではありながら、ありがたいことにどの子も、大人の心配をよそに、今のところ現地校での生活の中にあっさり溶け込んでいくことができました。
では、何がそうさせたのか。
学校の雰囲気や友だちとの相性、本人たちのいい加減な?性格はもちろんあるのでしょうが、それだけではない、考えられる理由があるように思います。

幸いなことに、私の研究テーマ(Early literacy)にも深く関わる部分ですので、また近いうちに踏み込んで書いてみますね。




13.5.18

教わる・教える(松本)

あれこれ取り組んでいるうちに、あっという間に週末に。
前回の中学生編に続いて、今回は小学生編その1を書いてみます。

小学校(Primary school)は6年生まで。始まりは9月です。
日本で3年生を終えた次女は、いきなり5年生に。
4-8月生まれの子にとっては、学年の数字は1年半早く始まる、ということになります。

次女の英語力は、アルファベットは書ける、簡単な挨拶と、apple!のような日本でもなじみのある単語をちょっぴり知っている、という程度。日本では3年生でローマ字学習を終えるので、学年相応、という感じです。
まずは可愛い制服と靴にテンションが上がり(ちなみに、制服はそのへんのスーパーに売っています。日本に比べてとても安価!)、元気に通い始めました。
語学力を思えば、どう考えても学校ではわからないことばかりのはずですが、先生や友達の話すことばは「わからないけど、わかる」とのこと。なんか深い。。。

そんな彼女のクラスで、最近流行り始めているのは日本語。
お母さんが日本人の隣のクラスの友だちと、彼女の2人が先生役として、クラスのみんなに日本語を教える機会を担任の先生が作ってくれたそうです。
初日のクラス見学の折には、私たちの顔を見て「你好」と挨拶してくれた子どもたちも、すっかり「コニチワ」と言えるようになってきました。もちろん、担任の先生も一人の生徒として。

その週末、次女は嬉しそうに優勝カップを持って帰ってきました。
聞けば、その週、学年で一番頑張った子どもとして表彰された、と言います。
ところが、何で表彰されたのかは、本人もよくわからず。。。
友達と毎日Monky bars(=うんてい)を、マメをつくるほど楽しんでいたことは確かですが、通常の授業は???なのに。。。
日本にいるときから、なぜかトロフィーに異様に憧れを抱いていた本人は、思わぬ出来事にテンションがまた一気に上がったようです。

みんなに日本語を教えたことと表彰の関係は、まだ、先生に直接話を聞く機会を持てていないのでよくわかりません。
いずれにせよ、学校生活の中で手を引かれ、導かれる機会が多くならざるを得なかった彼女が、教える立場にまわれたことの意味は、その時間はもちろん、学校生活全般に大きく影響したのではないかと想像します。

見つめられ、先回りされ、手を引かれる側から、相手を見つめて、先回りして手を引く側へ。
私たちは、特別な配慮を必要とする子どもに対し、その子の生活や学びを支えるような援助だけでなく、その子自身が他者を支えたい願いを実現する機会を提供できているか。

まだ言葉にはできない願いが汲み取られ、みんなに教える機会が整えられたこと、その姿がみんなに認めたられたことは、彼女にとっても、まわりのみんなにとっても、一つの転機になったのかもしれません。