土曜日, 6月 30, 2018

ゼミ: 25th Jun 2018(田中志歩)

先日のゼミは、発表を私ができる日でした。
2週間前頃から、何についてみんなで話し合えば面白いかなあ。
そんなことを考えながらレジュメを作成しました。
私の専門は国際教育開発で、研究テーマはバングラデシュの少数民族教育です。
だから、こういう研究の話を持っていったらみんなと、どんな話になるのかなあとワクワクドキドキしながら、発表しました。

今回のテーマは「学校の役割って何だろう?」にしました。

話し合った内容をまとめる前に、修士論文執筆のための研究で扱うバングラデシュの小規模少数民族のクミ民族について簡単に先に書きます。

クミ民族の人口は2999人(2017)。
少し古いデータですが2008年のCHTDF(Chittagong Hill Tracts Development Facility)の調査によるとクミ民族の非就学率は88%と、バングラデシュの少数民族の中で一番非就学率が高いです。

こんな、クミ民族の村に日本人が訪れると、よくこんな言葉をかけられる場面に遭遇します。
それは、「ここにいる子どもたちにとって学校っていらなくない?」「みんな幸せにくらしてるじゃん。」です。
これらの言葉を、耳にすると私は(ああ。また、でた。どうしようかなあ。)という困惑する気持ちと、学校に行くことが当たり前の環境として整っている日本で育った私たちが相手の生活を表面だけ見て、勝手にそんなこと言っちゃだめじゃないの。と、少々のいらだった感情があふれてしまいます。
でも、豊かな自然、自給自足の生活、大家族に親戚たち、おせっかいなぐらいかかわりを持とうとするご近所さんたち。今の日本の姿と比較して、その人的資源や人とのつながりの濃さに対する実態を目の当たりにすると、そんなコメントをする人の気持ちも分かるのが正直なところです。

しかし、バングラデシュは2007年に初等教育就学率が97%を達成していて、バングラデシュの大多数の人々にとっては学校に行くことが当たり前になっているのが現状です。それでも、やっぱりクミ民族の子どもたちには学校はいらないのでしょうか。

こんな疑問をずーっと抱えながら、答え探しの毎日を過ごし、学会発表の際にも、毎回のように「このような環境にいるクミ民族の教育の必要性とは?」という「そもそも」を考えさせられる問いが投げかけられ、なんて答えればいいのだろうか。
研究が進めば答えが出るものだろうか。と、思い悩んでいました。

発表しながらみんなどんなことを考えるんだろう。と考えていましたが、話し終わった後に、みんなが「子ども目線」でのコメントや質問をしてくれたことが私はとても印象的でした。

調査に行くと先生や親といった「大人」と私は話しがちです。
子どもは、見ていてかわいいけど、インタビューをしてみても、言ってることは分かるのだけど意味が取れなかったり、些細なことが返答として帰ってくることが多いので、どうしても、避けてしまいがちにしてしまっている自分に気づかされました。

それでも、やっぱり、幼児研究科のみんなの視点は難しくても「子ども」なのだなあということが分かって、夏の訪問の際には「子ども目線」を1日1回はできるようにしたいと思いました。

また、みんなの質問や、松本先生からの話の中で
「ここじゃない場所を見せることのできるツールとしての学校や教育」という言葉がしっくりきました。
クミ民族の人々が、教育を受容する中でどのような変容が起きているのか、そして、起きてくるのかをつぶさに調査していきたいです。

そして、これから修論までに、クミの村と同じような状況に昔あって今は学校に行くことが当たり前とされているケース(バングラデシュの大多数のベンガル人の村など)が、どのように学校教育が入ってきたことで変容してきたのかを調べてみたいと思いました。

写真は、クミの村にある公立小学校(バングラデシュの小学校は1~5年生)の様子です。
小学1年生から3年生の児童が同じ教室で勉強しています。(4・5年生が一緒の教室)
まだ、ベンガル語を話すのがちょっと恥ずかしいようで、話しかけると、ぴゅーっと、逃げて行かれてしまうこともしばしば。
また、みんなに夏に合えるのが楽しみです!


木曜日, 6月 28, 2018

Three months(松本)

今日でちょうど3ヶ月。ということは、在外研究機関の1/4が過ぎたことになります。
-term 0: とにかくみんなで生活の立ち上げ……半月と少し
-term 1: 研究所での仕事&子どもたちの学校生活の立ち上げ、旧年度からの持ち越し仕事の続き、学生に研究指導……半月と少し
-term 2: 再審査論文の修正、研究発表の下準備、Skypeゼミの立ち上げ……1ヶ月と少し
-term 3: 研究発表×3、保育施設&学校訪問、研究計画の練り直し、学会参加……今ここ 2週間経過:残り1ヶ月ほど
という感じで歩んできました。ここを越えると、夏休みになります。
英語での仕事や手続きは、日本語よりちょっぴり余計な時間がかかること、合間に定期的にこちらの会議やゼミ、日本の仕事をはさんでいること等もあるからか、率直に言ってがっつり何かが進んだ手応えを感じられているわけではないのですが、これまでとは違う時間の使い方ができていることは確かです。日本で支えてくれている仲間に感謝しながら、残りの3/4の時間を大切に過ごしたいと思います。

自分の仕事を進めたり、子どもたちの学校のエピソードを聞きつつ、このところ考えさせられているのは、こちらの社会の中では「そのヒトなりに歩もうとしている姿を尊重する」ことについて、その多少はあれど、人々の間でのなんとなくの合意や、それを支える制度設計が担保されているのでは、という点です。
学校しかり、その他の場での出来事しかり。そんな場面で、私たち日本の社会では「そのヒトの行動は善なのか、悪なのか?」という観点で議論されることがあまりに多い気がするのですが、こちらの社会では、もしそれが問題になるとすれば、むしろ「歩もうとしているそのヒトの行動を妨げたり、足を引っ張る権利が他者(である‘あなた’)にあるか?」というかたちで論じられそうな気がします。
学校等での子どもたちの行動、子育てのスタイル、恋愛や結婚、家族のかたち等々、多様なトピックが思い浮かびますが、こういった問いの立て方は、日本社会では少ない気がするのですが、どうでしょうか。「公共」を問いかける宛先の問題というか。。。
人権観や、尊厳ということと関わっているように感じますが、まだ自分の中であまり練れていないので、今しばらく時間を使って考えていきたいと思っています。

そのヒトなりに歩んだ結果が、うまくいかないことは多々あるでしょう。しかし仮にそうだとしても、萎縮せずに励まされた履歴が残ることは、次の工夫と挑戦の可能性をふくらませることも、また確かなことかなと思うのです。






金曜日, 6月 22, 2018

ゼミ その2: 18th Jun 2018(みほ)

失礼します。
松本ゼミ3年のみほです。

6/18のゼミの報告をさせていただきます。
今回の15分せんせいはなるみ先生でした!
子どものアレルギー対策まで考えられた米粉粘土を作ってきてくれました。ピンクと黄色の2色の粘土から、それぞれが思い思いに遊びを楽しみました。

感触は普通の粘土や小麦粉粘土に比べると、少しパサパサしていてちぎれやすいなあと感じましたが、子どもたちはきっとちぎるだけや丸めるだけ、触るだけで楽しんでくれると思います。私も自分が昨年の保育実習で1歳児にした時のことを思い出して懐かしくなりました。

米粉粘土は上新粉と水と油と食紅から作られているので、口に入れても危なくありません。ということで、吉川先生が持ち帰って実際に茹でてみて下さいました。やはりお団子と同じようにもちもちになったそうで、粘土としてだけでなく茹でた後まで楽しめるのがいいなあと思いました。
1口かじってみたけど味がなかった〜と教えてくれた吉川先生のおちゃめなところに思わず笑顔になれました。

みんなで楽しむことができました。
なるみ先生おつかれさま!ありがとう!!






水曜日, 6月 20, 2018

ゼミ: 18th Jun 2018(山地)

修士課程幼児教育研究室の山地です。

 今回は『レッジョ・エミリアの教育学-幼児の100の言葉を育む-[秋田喜代美,2003,佐藤学・今井康雄(編)『子どもたちの想像力を育む:アート教育の思想と実践』東京大学出版会 pp.73-92]』を用いて、みんなで議論しました。文献の中で登場したレッジョ・エミリアの実践や子どもの様子などについて、みんなが“素敵だなあ”“おもしろい!”と感じていたようでした。このように感じることができたレッジョ・エミリアの実践から自分たちは何を学べるのか、さらに日本の保育現場との違いは何なのかといった二点が議論の中心にありました。

 中でも、私がここで紹介したいと考えたのは、子どもの表現の経験を保育者がどのように支えるのかということです。レッジョ・エミリアの実践における子どもの表現の経験は、子どもの生活に根差したものから出発します。時には同じテーマの活動が数か月間も続くことがあるそうです。これは、表現活動の主体となる子どもの興味・関心から発信される“過程”としての経験です。レッジョ・エミリアの保育者は子どもの表現のきれいな完成(ゴール)を目指しているのではありません。子どもの表現の経験に耳を傾け、丁寧に意味を与えながら表現が成熟されるまでの過程に重きを置いています。

 そこで、日本の保育現場の実践における子どもの表現の経験について考えてみました。すると、レッジョ・エミリアのような子ども発信というよりは、保育者が子どもに表現活動の機会を与えているのでは、という意見が出ました。さらに、この機会はレッジョ・エミリアのような“過程”としての経験ではなく“単発的な”経験かもしれない、という意見も出ました。もちろん、日本の保育者も子どもの生活や興味・関心から表現活動のテーマを作ることはあります。しかし、レッジョ・エミリアの実践と決定的に異なるのは、保育者はあらかじめその活動における子どもの表現に見通しを持ち、その表現の完成に至るまでの道筋を明確に持っているという点です。

 また、レッジョ・エミリアの表現活動では、五感を“繋げる”もの、つまり表現活動の過程における様々な経験が繋がり合い、子どもの様々な感覚が相互に繋がりを持つことが特徴なのではという意見も出ました。一方、日本の保育ではレッジョ・エミリアのような活動の繋がりを持っているのか、活動ごとの繋がりをどのように捉えているのかというような、全体としての教育課程を改めて考えるきっかけにもなりました。

 子どもにとって表現とはどのような価値を持つのか。また、何のための表現活動なのか。そして、その表現活動に保育者が何を見出すのか。素材の特性を知るため?道具の使い方を学ぶため?身の回りの生活に興味を持つため?…

 日々の生活を子どもと共にする保育者だからこそ支えることができる子どもの表現活動について、深く考えさせられ、これからも考え続ける価値のあるテーマを今回の議論から得ることができました。


※写真は本文と関係ありません

金曜日, 6月 15, 2018

ゼミ その2: 11th Jun 2018(みほ)

失礼します。
松本ゼミ3年のみほです。

6/11のゼミの報告をさせていただきます。
この日の15分せんせいは、さとみ先生でした。乳児を対象にしたかたつむりの製作を考えてきてくれて、みんなで殻や身体に模様をクレヨンで描いたり丸シールで貼ったりして、それぞれのかたつむりを完成させました。
好きな色の画用紙を選び、自分の思い思いに描いたり貼ったりできる活動は、きっと小さな子どもたちは大好きなの夢中になるだろうなあと思いました。ゼミのみなさんも一人一人違った工夫が見られて、自分だけの素敵なかたつむりができていました。今の季節にぴったりで、今回もゼミ室の窓に飾りました。並ぶとより一層かわいくて癒されます。

さとみ先生ありがとう!

また、この日は教研の院生である田中さんも来てくれていたので、いつもとは違った話もしながら楽しむことができました。田中さんの私たちにはない視点から考えた話やアイディアはとても参考になり、良い刺激になりました。ありがとうございました。





水曜日, 6月 13, 2018

ゼミ: 11th Jun 2018(田中志歩)

 今日は、初めての松本ゼミ参加。少しの緊張感がありましたが、15分せんせいのかたつむりづくりの時間によって和やかな雰囲気でのゼミとなりました。
かたつむりまた作りたいなあ。

 松本先生がSkype参加をしたところで、本日は『レッジョ・エミリアやニュージーランドの保育者には「子ども」がどのように見えているのだろうか [大宮勇雄, 2007, 現代と保育(ひとなる書房)69, 6-37] 』を用いての議論を始めました。
 私は専門が国際なので、畑の異なる幼児研究者たちの意見は新鮮なものが多く、今まで学会などで経験したものとは異なる視点からの文献への切り口に最初は圧倒されながら、徐々に(?)意見を交わすことができたのかなあと思います。

 昨日の議論の中で主に話し合われた内容は「子どもを肯定的に見るとは」という点でした。
「肯定的に見る」ことは、はじめ、私はこのフレーズが分かるようでわからない。
そもそも、肯定的って何だろう。そんな?(はてな)が頭の中でいっぱいだったけど
みんなで、話をしている中で、保育者や大人が子どもの行動のみを見るのではなく、その子がどういった気持ちでその行動をする。評価をするのは、できた・できないの短絡的なものではなく、そのプロセスも含める。等の考えをシェアすることができました。

 私は、ゼミが終わってから、もう一回「肯定的」について考えてみたら
「寛容的」であることが人と関わるうえで重要なのではないかなあと。
 いろんなことに、答えはないし、答えはいっぱいあるけど
 いろんな問いに対して、自分なりの考えで、自分なりの答えを持って
 いろんな問いに当たっていけばいいのかなあと。
 そんなことを考えさせられた初めてのゼミでした。

 先生のおうちのお庭の、バラがたくさん咲いていてきれいでした。
 日本は紫陽花と菖蒲が雨粒にぬれて柔らかな雰囲気を醸し出す季節となりました。
 写真は、近所の紫陽花です。いろんな色が咲いててうれしいなあ。






月曜日, 6月 11, 2018

ことばの問題(松本)

こちらに来て2ヶ月半。
ここしばらく、話す力の低下を強く感じるようになりました。
主観的には「まあまあダメ」だったのが「すごくダメ」になった感じがしています。
ダメさに磨きがかかるのも困ったものです。

理由はいくつかあると思うのですが、その一つは、ここしばらく、とある論文の修正にかなりの時間を割いていたことです。
私の場合は、母語は日本語、これまで通っていた教育機関も全て日本なので、ある水準までの論理的なツメは日本語で進めていきます。最終的な表現型が英語の場合、そこに多少の英語のフレーズが混じることはあっても、論理の柱は間違いなく日本語です。
自然科学を中心に、数値が表現の中心の場合、論理の柱の言語は数式や数字!ということもあると思うのですが、文化や歴史の問題が絡む社会科学の場合、なかなかそうはいかない気がします。
つまり、論文をまとめたり、それに伴う論理的な思考を進めているときは、たとえそれが表面的には英語であっても、実際のアタマの中では日本語で作業している、ということになるわけです。
しかも、そういう作業をしてるときは当然ですが、同僚との会話も少なくなる。
毎日の学校生活から、次々に吸収していく子どもたちや、語学学校に通い始めた妻に比べて、圧倒的に経験が足りなくなるというわけです。あれまあ。

マイナス面だけでは哀しいので、ことばに関して、逆に、この2ヶ月半でややましになったというプラスの面を頑張って探してみると。。。

1) 英文メールを書くのが早くなった
 これは間違いなく、仕事関係はもちろん、学校や生活面での各種手続き(問い合わせや苦情含む)で、やたらめったらメールを書きまくったせいです。よく言われる、イギリスの不便さのおかげかもしれません。。。電話の時代だったらどうなっていただろう。。。

2) 聞き取り力がちょっぴり上がった
 こちらに来た時点では、研究ほか仕事に関することは、7割わかる(=3割わからん)という感じだったのが、ほんの少しましになったかな、と思います(8:2くらい+いくつかの聞き取り間違い、というのが最近のパターン)。
 日常会話は、その逆に8割わからん!でスタートしたのが、ほんの少しましになってわからんのが7割くらいに。(ましといえるのかどうか。。。)
 しかし、研究にせよ日常会話にせよ、意識して聞こうとしないと、なんだかよくわからないことには変わらない。特に、同僚同士の頭上を飛び交う日常会話については???のことが大半です。。。

3) 速読傾向が強まった
 これは、↑にも書いたようなメールのやりとりや、仕事の中身もこちらに来て意識的に英語のものを増やしているので、まぁそうかなあと思います。速読すればするほど、読み間違いも増えますが(これは日本語も同じですね)。

こんな現状です。
こうやって改めて書いてみると、どれも自分なりには合理的というか、納得のいく理由があるなと思います。
ということは、やっぱり語学の上達には近道や魔法はなくて、これまで積み重ねてきたみちすじと、わりにシンプルに直結すると考えてよいのかもしれません。

ことばの中でも、特に語彙の問題は、過ごしてきた文脈と密接に関係していくはずです。
時折聞くように、1年間海外で過ごせば、その国のことばがペラペラになる!はずはなくて、それが思春期であれば、思春期に特有の語彙が増える、学生時代であれば、学業や学生生活の、専門分野に関わる学会であれば、そのやりとりに使われる語彙が増える……ということになるのでしょう。
もちろん個人差はあると思うのですが。

考えてみれば、今の状況は、イギリス人同士の日常会話を聞いて、自分の言葉をそこに重ねていく経験がほぼなかったこれまでの人生を振り返ると、当然の結果ですね。
これまで、短期訪問のときは語学に関してはたいてい諦めて、しゃべれる人より面白い人だと思われよう戦法!で突破してきたのですが、長期滞在となるとそうはいきません。

こちらに来て以来、日常会話では「一言余計に話そう!」を心がけてきました。
でも、どうもそれだけでは足りない。このギャップを埋めるパーツをどこに探しにいくか。
ひとりでパブへ飲み歩くわけにもいかないので、できることを考えて、残りの時間でまだまだ諦めずに、家族と一緒にチャレンジしてみたいと思います。
結果は、またいずれ。。。

1枚目の写真、樹上に白いリスを見つけました。
2枚目は夜9時すぎ。ようやく夕闇が見えてきた時間です。






火曜日, 6月 05, 2018

ゼミ: 28th May 2018(なるみ)

先日のゼミでの15分せんせいの報告をさせていただきます。

5/28のゼミのせんせいはみほ先生でした!
ビニール袋にお花紙を詰めてカラフルてるてるぼうずを作りました。色とりどりのお花紙や丸シールがあって未満児さんにとって視覚的にも楽しめるし、お花紙を丸めて袋の中に詰めたり、丸シールを貼ったりすることでも楽しさを味わえる製作だなと思いました。みなさんシールの貼り方やお花紙の詰め方を工夫して自分なりのかわいいてるてるぼうずを作っていました!ゼミ室の窓の上に吊るしているのでこれで梅雨も乗り切れそうです!
みほ先生ありがとう!