27.6.18

Three months(松本)

今日でちょうど3ヶ月。ということは、在外研究機関の1/4が過ぎたことになります。
-term 0: とにかくみんなで生活の立ち上げ……半月と少し
-term 1: 研究所での仕事&子どもたちの学校生活の立ち上げ、旧年度からの持ち越し仕事の続き、学生に研究指導……半月と少し
-term 2: 再審査論文の修正、研究発表の下準備、Skypeゼミの立ち上げ……1ヶ月と少し
-term 3: 研究発表×3、保育施設&学校訪問、研究計画の練り直し、学会参加……今ここ 2週間経過:残り1ヶ月ほど
という感じで歩んできました。ここを越えると、夏休みになります。
英語での仕事や手続きは、日本語よりちょっぴり余計な時間がかかること、合間に定期的にこちらの会議やゼミ、日本の仕事をはさんでいること等もあるからか、率直に言ってがっつり何かが進んだ手応えを感じられているわけではないのですが、これまでとは違う時間の使い方ができていることは確かです。日本で支えてくれている仲間に感謝しながら、残りの3/4の時間を大切に過ごしたいと思います。

自分の仕事を進めたり、子どもたちの学校のエピソードを聞きつつ、このところ考えさせられているのは、こちらの社会の中では「そのヒトなりに歩もうとしている姿を尊重する」ことについて、その多少はあれど、人々の間でのなんとなくの合意や、それを支える制度設計が担保されているのでは、という点です。
学校しかり、その他の場での出来事しかり。そんな場面で、私たち日本の社会では「そのヒトの行動は善なのか、悪なのか?」という観点で議論されることがあまりに多い気がするのですが、こちらの社会では、もしそれが問題になるとすれば、むしろ「歩もうとしているそのヒトの行動を妨げたり、足を引っ張る権利が他者(である‘あなた’)にあるか?」というかたちで論じられそうな気がします。
学校等での子どもたちの行動、子育てのスタイル、恋愛や結婚、家族のかたち等々、多様なトピックが思い浮かびますが、こういった問いの立て方は、日本社会では少ない気がするのですが、どうでしょうか。「公共」を問いかける宛先の問題というか。。。
人権観や、尊厳ということと関わっているように感じますが、まだ自分の中であまり練れていないので、今しばらく時間を使って考えていきたいと思っています。

そのヒトなりに歩んだ結果が、うまくいかないことは多々あるでしょう。しかし仮にそうだとしても、萎縮せずに励まされた履歴が残ることは、次の工夫と挑戦の可能性をふくらませることも、また確かなことかなと思うのです。






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