14.6.18

ゼミ その2: 11th Jun 2018(みほ)

失礼します。
松本ゼミ3年のみほです。

6/11のゼミの報告をさせていただきます。
この日の15分せんせいは、さとみ先生でした。乳児を対象にしたかたつむりの製作を考えてきてくれて、みんなで殻や身体に模様をクレヨンで描いたり丸シールで貼ったりして、それぞれのかたつむりを完成させました。
好きな色の画用紙を選び、自分の思い思いに描いたり貼ったりできる活動は、きっと小さな子どもたちは大好きなの夢中になるだろうなあと思いました。ゼミのみなさんも一人一人違った工夫が見られて、自分だけの素敵なかたつむりができていました。今の季節にぴったりで、今回もゼミ室の窓に飾りました。並ぶとより一層かわいくて癒されます。

さとみ先生ありがとう!

また、この日は教研の院生である田中さんも来てくれていたので、いつもとは違った話もしながら楽しむことができました。田中さんの私たちにはない視点から考えた話やアイディアはとても参考になり、良い刺激になりました。ありがとうございました。





13.6.18

ゼミ: 11th Jun 2018(田中志歩)

 今日は、初めての松本ゼミ参加。少しの緊張感がありましたが、15分せんせいのかたつむりづくりの時間によって和やかな雰囲気でのゼミとなりました。
かたつむりまた作りたいなあ。

 松本先生がSkype参加をしたところで、本日は『レッジョ・エミリアやニュージーランドの保育者には「子ども」がどのように見えているのだろうか [大宮勇雄, 2007, 現代と保育(ひとなる書房)69, 6-37] 』を用いての議論を始めました。
 私は専門が国際なので、畑の異なる幼児研究者たちの意見は新鮮なものが多く、今まで学会などで経験したものとは異なる視点からの文献への切り口に最初は圧倒されながら、徐々に(?)意見を交わすことができたのかなあと思います。

 昨日の議論の中で主に話し合われた内容は「子どもを肯定的に見るとは」という点でした。
「肯定的に見る」ことは、はじめ、私はこのフレーズが分かるようでわからない。
そもそも、肯定的って何だろう。そんな?(はてな)が頭の中でいっぱいだったけど
みんなで、話をしている中で、保育者や大人が子どもの行動のみを見るのではなく、その子がどういった気持ちでその行動をする。評価をするのは、できた・できないの短絡的なものではなく、そのプロセスも含める。等の考えをシェアすることができました。

 私は、ゼミが終わってから、もう一回「肯定的」について考えてみたら
「寛容的」であることが人と関わるうえで重要なのではないかなあと。
 いろんなことに、答えはないし、答えはいっぱいあるけど
 いろんな問いに対して、自分なりの考えで、自分なりの答えを持って
 いろんな問いに当たっていけばいいのかなあと。
 そんなことを考えさせられた初めてのゼミでした。

 先生のおうちのお庭の、バラがたくさん咲いていてきれいでした。
 日本は紫陽花と菖蒲が雨粒にぬれて柔らかな雰囲気を醸し出す季節となりました。
 写真は、近所の紫陽花です。いろんな色が咲いててうれしいなあ。






11.6.18

ことばの問題(松本)

こちらに来て2ヶ月半。
ここしばらく、話す力の低下を強く感じるようになりました。
主観的には「まあまあダメ」だったのが「すごくダメ」になった感じがしています。
ダメさに磨きがかかるのも困ったものです。

理由はいくつかあると思うのですが、その一つは、ここしばらく、とある論文の修正にかなりの時間を割いていたことです。
私の場合は、母語は日本語、これまで通っていた教育機関も全て日本なので、ある水準までの論理的なツメは日本語で進めていきます。最終的な表現型が英語の場合、そこに多少の英語のフレーズが混じることはあっても、論理の柱は間違いなく日本語です。
自然科学を中心に、数値が表現の中心の場合、論理の柱の言語は数式や数字!ということもあると思うのですが、文化や歴史の問題が絡む社会科学の場合、なかなかそうはいかない気がします。
つまり、論文をまとめたり、それに伴う論理的な思考を進めているときは、たとえそれが表面的には英語であっても、実際のアタマの中では日本語で作業している、ということになるわけです。
しかも、そういう作業をしてるときは当然ですが、同僚との会話も少なくなる。
毎日の学校生活から、次々に吸収していく子どもたちや、語学学校に通い始めた妻に比べて、圧倒的に経験が足りなくなるというわけです。あれまあ。

マイナス面だけでは哀しいので、ことばに関して、逆に、この2ヶ月半でややましになったというプラスの面を頑張って探してみると。。。

1) 英文メールを書くのが早くなった
 これは間違いなく、仕事関係はもちろん、学校や生活面での各種手続き(問い合わせや苦情含む)で、やたらめったらメールを書きまくったせいです。よく言われる、イギリスの不便さのおかげかもしれません。。。電話の時代だったらどうなっていただろう。。。

2) 聞き取り力がちょっぴり上がった
 こちらに来た時点では、研究ほか仕事に関することは、7割わかる(=3割わからん)という感じだったのが、ほんの少しましになったかな、と思います(8:2くらい+いくつかの聞き取り間違い、というのが最近のパターン)。
 日常会話は、その逆に8割わからん!でスタートしたのが、ほんの少しましになってわからんのが7割くらいに。(ましといえるのかどうか。。。)
 しかし、研究にせよ日常会話にせよ、意識して聞こうとしないと、なんだかよくわからないことには変わらない。特に、同僚同士の頭上を飛び交う日常会話については???のことが大半です。。。

3) 速読傾向が強まった
 これは、↑にも書いたようなメールのやりとりや、仕事の中身もこちらに来て意識的に英語のものを増やしているので、まぁそうかなあと思います。速読すればするほど、読み間違いも増えますが(これは日本語も同じですね)。

こんな現状です。
こうやって改めて書いてみると、どれも自分なりには合理的というか、納得のいく理由があるなと思います。
ということは、やっぱり語学の上達には近道や魔法はなくて、これまで積み重ねてきたみちすじと、わりにシンプルに直結すると考えてよいのかもしれません。

ことばの中でも、特に語彙の問題は、過ごしてきた文脈と密接に関係していくはずです。
時折聞くように、1年間海外で過ごせば、その国のことばがペラペラになる!はずはなくて、それが思春期であれば、思春期に特有の語彙が増える、学生時代であれば、学業や学生生活の、専門分野に関わる学会であれば、そのやりとりに使われる語彙が増える……ということになるのでしょう。
もちろん個人差はあると思うのですが。

考えてみれば、今の状況は、イギリス人同士の日常会話を聞いて、自分の言葉をそこに重ねていく経験がほぼなかったこれまでの人生を振り返ると、当然の結果ですね。
これまで、短期訪問のときは語学に関してはたいてい諦めて、しゃべれる人より面白い人だと思われよう戦法!で突破してきたのですが、長期滞在となるとそうはいきません。

こちらに来て以来、日常会話では「一言余計に話そう!」を心がけてきました。
でも、どうもそれだけでは足りない。このギャップを埋めるパーツをどこに探しにいくか。
ひとりでパブへ飲み歩くわけにもいかないので、できることを考えて、残りの時間でまだまだ諦めずに、家族と一緒にチャレンジしてみたいと思います。
結果は、またいずれ。。。

1枚目の写真、樹上に白いリスを見つけました。
2枚目は夜9時すぎ。ようやく夕闇が見えてきた時間です。






4.6.18

ゼミ: 28th May 2018(なるみ)

先日のゼミでの15分せんせいの報告をさせていただきます。

5/28のゼミのせんせいはみほ先生でした!
ビニール袋にお花紙を詰めてカラフルてるてるぼうずを作りました。色とりどりのお花紙や丸シールがあって未満児さんにとって視覚的にも楽しめるし、お花紙を丸めて袋の中に詰めたり、丸シールを貼ったりすることでも楽しさを味わえる製作だなと思いました。みなさんシールの貼り方やお花紙の詰め方を工夫して自分なりのかわいいてるてるぼうずを作っていました!ゼミ室の窓の上に吊るしているのでこれで梅雨も乗り切れそうです!
みほ先生ありがとう!


28.5.18

Canterbury Arts Conference 2018(松本)

Canterbury Christ Church Universityの同僚の先生を介してご縁があり、研究のサブテーマの一つとして取り組んでいるアートと保育について、ちょうど、ここCanterburyにて開催される会議にて話をさせていただくことになりました。概要は以下になります。
http://www.cartscon.com/speakers/

少し前のものになりますが、4年ほど前に、香川県立ミュージアムにて、関係者のみなさんと力を合わせてつくった「小さなこどもの観覧日」の取り組みについて報告してくることにしました。
鑑賞の場に連れて行かれるのではなく。幼児が作品を「鑑賞したくなる」とき、そこに何が起きているのか。
それぞれ、文化的背景も専門も異なる場で、どんなことを共有できるかを楽しみにしながら、当日に臨みたいと思います。終了後にまた報告しますね。

20.5.18

Good girl! (松本)

学校編第3弾は、小学校編のPart 2。
一連のシリーズ?をしめくくるのは、三女のエピソードです。
日本で小1を終えた7月生まれの彼女は、同学年で最も年少の一人として、Primari School(小学校)のYear3に編入されました。
小学校は、徒歩30分ほどの、定員に空きがあった公立学校です。
検定教科書があるわけではないので、教育の中身はかなり各校・クラス毎の個性があります。

渡英時の彼女の英語力は、一言でいうと「ダメだこりゃ」のレヴェル(ごめん)。
ハロー、サンキューの他は、ABCすら怪しい……。
同年齢で比べても、英語教室に通っているなど、英語教育に熱心な家庭の子はもちろん、英語に少しでも関心がある子の方が、間違いなく彼女の英語力を上回るはずです。

英語はダメでも、数ならばユニバーサル。算数はきっと大丈夫かな、と思いきや、学校でやっているのはかけ算(日本なら2年生で履修)を通り越して、割り算。
残念なことに、これも全くわからない……。

にもかかわらず、憧れの革靴を履いて元気に通い始めた彼女は、親切なクラスメートや先生のおかげもあってか、何の戸惑いもためらいもなく、ある意味で同じ学校に通う姉以上に、あっという間にクラスと学校生活に馴染んでいきました。
学校に出かけた2日目。「大ニュース!隣のクラスに(お母さんが)日本人の子がいた!」と教えてくれました。一緒にゴハンを食べたというので、よかったね、その子が誘ってくれたのかな?と聞いてみたら「うううん。(私がその子を)みんなと一緒にたべよう、とさそって、一緒にご飯食べてあげた!」とのこと……。ん!?
……。
おぬし、なかなかたくましいのう。

既に、授業中でも挙手して何度か発言しているようです。
(本人いわく「わかったから、あげてみた」とのこと……。)

家では、「ねえねえ『みんなオッケー。レッツゴー!』ってエイゴでなんて言うの?」等々、とぼけた質問を連発している彼女。
学校のあれこれをよく見ていて、しっかり教えてくれます。
最近のクラス集会に向けての練習の様子を聞くと「日本だと、はい、姿勢を正してお山座りをして、しっかり声出して、って感じでしょう? こっちだと全然違う。先生、(子どもが)何かしたら、かならず  "Good! good! good!" "Good girl! Good boy!" って。」
だそうです。
そうか。なーるほど。

そんな彼女は、学校に行き始めて4週間足らずで、少しずつ会話の中に自然に英語のフレーズが混じりはじめました。
とはいえ、何か言われて"Ok" もっとほしいときに"One more" 相づちに"Yeah"といった程度ですが。。。
______

このように三者三様ではありながら、ありがたいことにどの子も、大人の心配をよそに、今のところ現地校での生活の中にあっさり溶け込んでいくことができました。
では、何がそうさせたのか。
学校の雰囲気や友だちとの相性、本人たちのいい加減な?性格はもちろんあるのでしょうが、それだけではない、考えられる理由があるように思います。

幸いなことに、私の研究テーマ(Early literacy)にも深く関わる部分ですので、また近いうちに踏み込んで書いてみますね。




13.5.18

教わる・教える(松本)

あれこれ取り組んでいるうちに、あっという間に週末に。
前回の中学生編に続いて、今回は小学生編その1を書いてみます。

小学校(Primary school)は6年生まで。始まりは9月です。
日本で3年生を終えた次女は、いきなり5年生に。
4-8月生まれの子にとっては、学年の数字は1年半早く始まる、ということになります。

次女の英語力は、アルファベットは書ける、簡単な挨拶と、apple!のような日本でもなじみのある単語をちょっぴり知っている、という程度。日本では3年生でローマ字学習を終えるので、学年相応、という感じです。
まずは可愛い制服と靴にテンションが上がり(ちなみに、制服はそのへんのスーパーに売っています。日本に比べてとても安価!)、元気に通い始めました。
語学力を思えば、どう考えても学校ではわからないことばかりのはずですが、先生や友達の話すことばは「わからないけど、わかる」とのこと。なんか深い。。。

そんな彼女のクラスで、最近流行り始めているのは日本語。
お母さんが日本人の隣のクラスの友だちと、彼女の2人が先生役として、クラスのみんなに日本語を教える機会を担任の先生が作ってくれたそうです。
初日のクラス見学の折には、私たちの顔を見て「你好」と挨拶してくれた子どもたちも、すっかり「コニチワ」と言えるようになってきました。もちろん、担任の先生も一人の生徒として。

その週末、次女は嬉しそうに優勝カップを持って帰ってきました。
聞けば、その週、学年で一番頑張った子どもとして表彰された、と言います。
ところが、何で表彰されたのかは、本人もよくわからず。。。
友達と毎日Monky bars(=うんてい)を、マメをつくるほど楽しんでいたことは確かですが、通常の授業は???なのに。。。
日本にいるときから、なぜかトロフィーに異様に憧れを抱いていた本人は、思わぬ出来事にテンションがまた一気に上がったようです。

みんなに日本語を教えたことと表彰の関係は、まだ、先生に直接話を聞く機会を持てていないのでよくわかりません。
いずれにせよ、学校生活の中で手を引かれ、導かれる機会が多くならざるを得なかった彼女が、教える立場にまわれたことの意味は、その時間はもちろん、学校生活全般に大きく影響したのではないかと想像します。

見つめられ、先回りされ、手を引かれる側から、相手を見つめて、先回りして手を引く側へ。
私たちは、特別な配慮を必要とする子どもに対し、その子の生活や学びを支えるような援助だけでなく、その子自身が他者を支えたい願いを実現する機会を提供できているか。

まだ言葉にはできない願いが汲み取られ、みんなに教える機会が整えられたこと、その姿がみんなに認めたられたことは、彼女にとっても、まわりのみんなにとっても、一つの転機になったのかもしれません。



6.5.18

Beyond expectation(松本)

子どもたちが学校に行き始めて、ちょうど2週間。
こちらの学校は、公立でも学区制ではなく、選択制なので自分で探す必要があります。
定員を上回っていれば入学を許可してくれないこと、渡英してまもなくイースター休暇に入ったこともあり、巡り会うまでに少し時間がかかりましたが、無事見つかって一安心です。
それぞれの学校の様子について、大きい順に書きたいと思います。

長女は、7年生として中学校(Secondary school)へ。
少し離れている場所へ、徒歩とバスで通います。
Secondary schoolにはいくつかの種類がありますが、基本的には中学と高校は一緒で、7年生から13年生までは同じ学校に通うことになります。
公設の中学校は、試験を受けて入るGrammer Schoolと、無試験で入れるState Schoolの2種類があり、当然ですが彼女の学校は後者になります。
ルーツや家庭等、さまざまな子がおり、何というか少しがっちゃりした!?雰囲気です。

学校の雰囲気は、高校のよう。子どもたちはHouseという異年齢クラスに所属しますが、授業は学年毎に、それぞれ専門の教室を訪れて受けることになります。ロッカーはないので、基本荷物を持ち歩いて移動します。食堂ももちろんあります。
スマートフォンはむしろ、生徒が学校からの連絡等を受けるアイテムとして有意義に活用されているようです。(もちろん、持っていない子どももいるようですが)

長女の英語力は、日本で教育を受けた年齢相応。
思春期に入り、言いたいことも言えないのでは、プラス一人で通わねばということで、始まる前は最も心配していたのですが、今のところ毎日とても楽しく通っているようで一安心。
学校で(先生も含め)みんなお菓子を食べまくっている!とか、クラスマッチ?の表彰式が音楽も盛大にかけて、生徒も先生も盛り上がってすごい!とか、金曜日の盛り上がりが異常!とか(週末に塾や部活に追われないから!?)、日々発見があるとのこと。
学校で唯一の日本人ですが、名前を覚えきれないみんなも含め、たくさんの仲間が声をかけてくれる環境を楽しんでいるようです。

そのように、日本と違う環境に強く印象を受けながらも、実は最初に彼女が話していたのは、いろいろな子どもがいる学校でのみんなの雰囲気が、自分の小学校に似ていて安心した!ということでした。
これまでの保育園、小学校、そしてときどき大学に出入りする生活で、さまざまな人に出会ってこられたのが活きているのか。。。

Beyoud expectation.
子どもは大人の予想を容易に越えていく存在であることを、改めて子どもから教えてもらう毎日です。




29.4.18

大学にて(松本)

Canterburyに引っ越してきて、はや1ヶ月。
大学での活動が本格的に始まって、2週間が経ちました。
最初の1週間では、職場環境を整えながら、いろいろな人に会ったり、会議に出たり。
2週目はちょこちょこ人に会ったりする合間に、日本の仕事の〆切がまとめて来たり、子どもたちの学校の準備や手続きをしたりで今に至ります。

今の所属はResearch Centre for Children, Families and Communitiesという研究所なので、数人の大学院生をのぞいて基本的に学生はいません。考えてみれば、仕事を始めて17年目で研究所に所属するのは初めて。イギリスの大学で会議に出たりするのももちろん初めて!
あれこれ新鮮すぎる中で、印象に残ったことは多々あるのですが、この間で特によい経験になったのは、出会った中の一人の先生とのご縁で、教育学部のPost Graduate(制度上は大学院ですが、基本的には4年生)の授業に飛び入りする機会を得たことです。

30人ほどの学生が履修しているその授業では、それぞれがこれから実践現場で行う研究計画をまとめながら、倫理上の配慮点について書く、という課題が出ていました。なぜだか流れ上、ちょこちょこ論文指導っぽく脇からコメントしつつ見せてもらった彼女たちの研究計画は……

・図書館を介した読み聞かせ(Book sharing)への働きかけとと親子のやりとりの質の変化
・わらべ歌(Nursery rhymes)とSocial relationshipsの発達
・保育園内のコーナーを活用した、自分の気持ちに関する表現力を豊かにする取り組み
・ままごと遊びと社会性の発達

等々、日本の4年生たちが考えるものと、思った以上に興味関心も枠組みもわりによく似ている!というのがなかなか新鮮でした。

こちらの大学のシステムは、日本とはかなり異なります。
教育学部の場合、Undergraduate(学部生)は、いわゆる高校からまっすぐ上がってくるコースと、保育現場などで社会人経験を積んだ後に入るコースに分かれていて、Foundation Degreeという基礎課程が2年(年数を考えると短大相当?)、その後にBachelorという学士課程が1年、その上にPost Graduateとなっているようです。
現場で気づいたことを、自分の課題意識に合わせたコースでの学びや研究課題として深め、キャリアアップして再び現場に戻っていける制度はなかなか魅力的です。日本で自分がしてきた仕事を振り返ると、保育者研修や現場での実践研究がそれに相当するのでしょうが、職場を離れずに学ぶことと、大学等で一度職場から離れて学び合うことでは、深められる程度と蓄積の度合いが変わってくるように感じました。日本でこれまで一緒に学んできたみなさんと、こんな機会が持てたらきっと面白いと思います!

また、担当の教員は、これらそれぞれの課程で分かれているようです。日本で大学1年から修士まで授業をもっている身からすると、これまた別の意味で新鮮でした。
とはいえイギリスは、たとえば就学前施設や小学校でも、施設・学校毎に雰囲気や教育内容、学び方にかなり幅があります。大学でも同じように、大学毎にいろいろシステムは異なるのかもしれません。

違う環境に出かけているので異なる点が多いのは当たり前なのですが、この二週間で意外にも、共通する点や課題がたくさん見つけられたことは大きな収穫でした。
帰ってからのことを考えるのはまだ早い!ですが、こちらの大学の同僚も、研究のこと、学生のこと、大学運営のこと等、同じようなことに悩み、頑張っている……と考えると、帰ってからもなんだか少し元気が出そうです。



13.4.18

ことばをかけ合う(松本)

Canterburyに住み始めて、半月ほどが経ちました。
生活の基盤を一つずつ整えながらこちらでやりとりするなかで、いくつか気付かされたことがあります。

一つめは、年配者(特に女性)や子ども連れ、障がいをもつ人たちに対するさり気ない配慮をよく見ることです。例えば道のすれ違いで足を止めて待つ、交通機関の座席を譲る、荷物運びなどでさっと手を差し伸べるなど。私は一度おばあさんに軽く注意されて(恥ずかしい&ありがたい!)すっかりその習慣が身につくようになりました。
もちろん、そうでない人もいます。でも譲ったときには、相手はほぼ、笑顔と言葉で返してくれます。

二つめは、互いに声をかけ合う場面がとても多いこと。特に我が家の子どもたちは、生活の中のいたるところで話しかけられることが、日本に比べてすごく新鮮であるようです。
子どもに限らず、大人に対しても、お店、バス、郵便等の配達、その他生活の中のあらゆる場面で、あいさつプラス一言やり取りすることが、明らかに日本にいるときより多いと感じます。

三つめは、英語以外の言葉に慣れていること。
例えば私の名前 ‘Hiroo’ は、アメリカ人には「ヒルー」と発音されることが多かった気がします。(そう、‘school’ と同じ発音ということです。)
でも、こちらに来てからは、きちんと読んで(読もうとして)もらえることがほとんどです。
EU圏はビザなしで移動できることで、互いに母語が異なるのはよくあること(例えばスウェーデン語の名前を発音するのは難しい!)、また自民族の言葉が実質的な世界共通語となりながらも、それは実際には他国(アメリカ)で独自に進化した少し違う言葉であること等が影響しているのかもしれないと思います。


譲ること、言葉をかけ合うことは、その中身自体の意味ももちろんあると思うのですが、「あなたと私は敵対していませんよ」というメタメッセージを含んだものとなります。

立ち居振る舞いが基本的によく似た人で構成されるコミュニティ(日本の多く)では、声をかけ合わずとも、互いに分かり合える(気がする)、という前提でコトを進めることが可能なのかもしれません。

いっぽう、多様な出自と習慣をもつ人が含まれているコミュニティでは、相手にはっきり声をかけること、わかりやすい態度で意思を表すこと、何より互いをわかり合おうとすることは、日々の生活を安心して送る中で不可欠なことなのでしょう。

幼児期からの、言葉で自分らしく表現することへの価値づけと、それが十分でない人に対する尊重の態度が大事にされていることは、これらとつながっているかもしれません。

まだこちらに来たばかり。

日本でも東京が特殊であるように、Londonのような大都会と、地方では異なることも多いだろうと思います。引き続き考えていきたいと思います。



4.4.18

2018年度(松本)

新年度が始まりましたね。
みなさん、それぞれ新しいスタートがあると思います。

松本は本年度、イギリス・ケント州カンタベリーにある、Canterbury Christ Church Universityにて在外研究をさせていただくことになりました。
Research Centre for Children, Families and Communities という研究所のメンバー(Visiting Scholar)として、就学前教育から初等教育への移行における諸問題に、リテラシー獲得とその支援を主なキーワードとしてアプローチする予定です。
リテラシー(Literacy)とは、狭義には文字等読み書き能力のことを指しますが、広義にはことばを介して自分をどう表現するか、を含む概念です。幼児期と学童期、就学前と初等教育、イギリスと日本という軸をたてて、それぞれ相違点・共通点を重層的に捉える際に、このリテラシー観の違いが、問題を読み解き実践につなげていくうえで、一つの鍵となると考えています。

現在、こちらの大学はEaster Holidaysに入っています。
中旬からの本格的スタートに向け、まずは家族と生活の立ち上げ、研究開始の準備に奔走する日々を送っています。徐々にこちらの、曇りのち雨時々曇りのち雨そして晴れ!のような天候にも慣れてきました。

今日は子どもたちが、はじめてこちらの子どもと遊んだ記念すべき日になりました!
英語はほぼ全くわからなくても、一気に遊びに巻き込み、巻き込まれていく小学生。
きちんと話せるかではなく、ワクワクするかどうかが、コドモとコドモを結びつけていきました。






28.2.18

子どもとともにつくりあげていこうー初めての年長保育をとおして(秋山)

 失礼します。幼児教育コース3年秋山祐希です。今回は保育内容の指導法(人間関係)の授業で、「子どもとともにつくりあげていこうー初めての年長保育をとおして」(静岡・風の子保育園:『ちいさいなかま(全国保育団体連絡会/ちいさいなかま社)』)という実践について討議し、考えたことについて書きます。

 この実践は、3年目の保育士が、初めて年長児クラスの1人担任を持ち、初めは「自分1人の力でなんとかしなきゃ」と気負っていたけれど、遊びや行事を通して、保育を子どもといっしょにつくりあげていこうとする姿勢へと変化していく過程について書かれています。

 討議は「保育者が遊びの中で子ども理解をしていく時に、大切にしたいこと、気を付けたいこと」という論点で進めました。また、年長児の実践ということで、「子ども同士が互いを理解するために保育者としてできる援助」という視点からも話し合いを行いました。

 運動会に向けてクラス全体で竹馬の活動を行っている時、この保育者は「どう心とからだを支えていこうかな」「この子はどんなことを考えているのかな、感じているのかな」と一人ひとりとじっくり向き合うことを心がけていました。そんな中、最後までなかなか乗れず、乗りたいけど乗れない、と葛藤していたAくんに対して、それまでは見られなかったまわりの子達からのアドバイスや応援がありました。この事例を受けて討議の中で、「先生が一生懸命だから、Aくんもまわりの子達もその姿を見て教え合いが生まれたのだろう。その教え合いを見た先生は『自分が教えようとしすぎなくても大丈夫だ』と思えたのだろう。」という、子どもと保育者が互いにモデルとなり、学び合いができていることへの気付きがあったことが印象的でした。

 他にも、保育者も子ども達の仲間になって一緒に遊びながら意見を引き出したり、思いを出しやすく聴きやすい関係づくりを心がけたりするという援助も考えられます。その中で子どもはどうしたいのかという主語が子どもであることや、流れをつくるという意味での主導権が子どもにある必要があることも大切だと分かりました。

 松本先生の「保育者は、導くのが仕事ではなく、遊びの中で良いところを探すのが仕事」というお言葉が印象に残っています。ねらいや意図は持った上で子ども達の遊びや関係の中に入り込み、子どもの良いところを見つけ、適宜伝えながら伸ばしていけると良いなと思いました。

26.2.18

二四人全員が出ないと光組のリレーにならない!(稲葉絵梨香)

 失礼します。小学校コース特別支援教育領域3年の稲葉絵梨香です。今回は保育内容の指導法(人間関係)の授業で、「二四人全員が出ないと光組のリレーにならない!」(京都:白い鳩保育園 ちいさいなかま〈全国保育団体連絡会/ちいさいなかま社〉540号,2010)という実践について討議し、考えたことを書きます。

 Aくんは自閉症スペクトラムで、皆より足が遅く、クラスの子は「リレーで負けるのはAくんがチームにいるから」だと思っていました。保育者は「対等の条件で遊ぶからこそおもしろい」ということを徹底しており、この時も「リレーでいっしょの力になる方法を考えよう」と皆に提案しました。保育者もどの方法がいいのか揺れながら子どもたちと一緒に意見を出し合いました。そして、皆で決めた「Aくんが1番手でスタート地点を半周先にする方法」でリレーに取り組んでいくことができました。
 数年後、小2になったAくんがリレーで走ることになります。走り切ったものの相手チームとかなり差が離れてしまいます。しかし、光組だったBくんが対等な力になるようにゴール地点でゴールをせずにもう1周走りました。ここから保育者の思いが伝わっていたことが分かります。

 この実践から「勝ち負けのあるものではできない子が責められることがある。皆が納得して活動を楽しめるようにするためにはどのような手立てができるか」について議論をしました。

 議論では、話し合うことで受け身にならず、不満が出にくいこと、保育者も子どもたちと同じ立場で意見を出し合うこと、皆で支えていけるような雰囲気づくりを普段から行うことの大切さ、説明するときに視覚的支援を行うことでどういうことが言いたいのか分かりやすくなり、納得しやすいことが分かりました。

 この中で、皆で支えていけるような雰囲気づくりを普段から行うことの大切さについて述べたいと思います。Aくんのハンデを考えた時、「Aくんだけずるい」という意見が出ることが予想されます。しかし、光組では皆が納得してリレーに取り組んでいました。光組の保育者は普段から「対等の条件で遊ぶからこそおもしろい」「競ることがおもしろい」ということを徹底して保育を行っていました。このことが子ども達がずるいと感じず、おもしろくするための手段だと捉えることにつながったのだと考えます。
 また、私は事例を読んだときに「スタート地点を半周先にすると目に見えてハンデが与えられていることが分かって、Aくんのプライドが傷つかないだろうか。」と思うところがありました。しかし、今までの授業を通して弱い自分を受け入れられる雰囲気づくりが大切だと学びました。この実践でもそのことが言えると思います。弱さを認められないと自分に対しても友達に対しても責めてしまうと思います。苦手な部分を皆で支え合っていくような雰囲気を保育者がつくっていくことが大切だと思いました。また、Aくんに対して必要なのは成功体験だと考えます。負けばかりを経験していくと自信がなくなり、楽しくもありません。いつも負けるのではなく自分の仲間と同じ力で勝負をして時に負け、時に勝つことで自尊感情が高まるのだと思いました。

25.2.18

はぐくみ×カレッジby香川大学を終えて(松本)

昨日お知らせしていました、はぐくみ×カレッジby香川大学@さぬきこどもの国は、本日無事終了いたしました。
親子を中心に、午前・午後合わせてのべ200名弱のみなさんに参加いただきました。
ご参加のみなさんにおかれましては、楽しい時間になったでしょうか。

教育実践の場において「事前の計画通り進める」ことがよしとされ、評価されるがちな昨今ですが、この「はぐくみ×カレッジ」は、当日までは年齢も人数も未知である、はじめて出会う参加者のみなさんを前に、ともに作り上げていくイベントです。
学生にとっては、即興性とチームワークを活かして対応することが常に求められる、貴重な学びの機会となっていることを、本年もまた実感することができました。

参加者のみなさん、さぬきこどもの国スタッフのみなさんをはじめ、関係者のみなさんにあらためて御礼申し上げます。ありがとうございました。






24.2.18

はぐくみ×カレッジby香川大学が開催されます(松本)

雪により開催が延期となっていた『はぐくみ×カレッジby香川大学』が、いよいよ明日、2/25に開催の運びとなりました。
さぬきこどもの国にて行われる、子どもたちと保護者のみなさんを主な対象とする、楽しい遊びのイベントです。今年のテーマは「四季戦隊 春夏秋冬レンジャー」そろそろ春の訪れが垣間見えてきたこのごろ、あらためて今年度を振り返りながら、
レンジャー達と一緒に四季の移り変わりを楽しんでみませんか。

香川大学教育学部幼児教育コース2年生を主に、さぬきこどもの国のスタッフのサポートのもと、一緒に準備を進めております。よろしければ、ご家族みなさんで参加いただけると嬉しいです。友だち同士、親子のみのペアでももちろんok。ともに楽しい時間を過ごしましょう!お問い合わせは、さぬきこどもの国まで。明日、お目にかかれるのを、楽しみにお待ちしております!


20.2.18

友だちとともに自信をもって卒園すること(佐藤)

 失礼します。幼児教育コース3年佐藤奈々です。今回は保育内容の指導法(人間関係)の授業で、「友だちとともに自信をもって卒園すること」(京都:朱一保育園5歳児ぞう組の保育実践 ちいさいなかま 全国保育団体連絡会/ちいさいなかま社)という実践について討議し、考えたことについて書きます。

 この実践は、運動会と生活発表会の主に2つの行事に関わる活動について書かれています。5歳児後半の保育の目標は、自分の弱い部分も含めて丸ごと認められることを通して、子どもたちが自信をもてるようになること。特に、保護者に認めてもらう機会がたくさん訪れるように日々の保育の中で様々な工夫がされているのが特徴です。

 討議は「子どもか自信をもてるために、保育者はどのような援助ができるか」を論点として行いました。自信をもつためには他の人から認められること、特に友だちや保護者から認められることが欠かせないだろうということで、「保育者はそのような機会や場をどうやって作っていけばよいか」という視点からも討議を行いました。

 討議の中で出た「子どもが他の子どもを認められるようになるのは、自分も誰かに認めてもらった経験があるから」という意見が印象に残っています。これは子どもに限った話ではなく、全ての人は同じような経験をしないと他の人の立場には立てません。特に、弱い部分も認めるというのはなかなか自発的に行えることではないでしょう。では、誰に認めてもらう経験が必要なのでしょうか。それはやはり保育者だと思うのです。もちろん、保護者にも認めてもらえるのが1番良いのですが、様々な家庭があり、様々な保護者がいます。全ての保護者が、子どもの弱い部分も丸ごと受け止められるわけではありません。しかし、保育者は専門職として、ある意味割り切った状態で子どもの全てを受け止めることができます。保育者に丸ごと認められるという経験をした子どもが、やがて他の子どもを丸ごと認められるようになるのではないでしょうか。

 かつて、私の中の5歳児のイメージといえば集団の中の個人というものでしたが、やはり子どもと保育者の一対一の関わりがあってこその集団なのだと分かりました。これは何歳児であろうと変わらない大切なポイントだと思います。

16.2.18

先生や大勢の友だちといっしょに遊ぶ楽しさを存分に感じて(阪谷)

 失礼します。幼児教育コース3年阪谷実咲です。今回は保育内容の指導法(人間関係)の授業で、「先生や大勢の友だちといっしょに遊ぶ楽しさを存分に感じて」(香川大学教育学部附属幼稚園:松本博雄・『保育を通じて子ども達は何を「学ぶ」か』現代と保育)という実践について討議し、考えたことを書きます。

 5歳児クラスに進級した喜びを友だちといっしょに感じ合っている子どもたちの中で、一人寂しさを感じているさつき。そんなさつきが自分らしさを発揮して活躍できるように、という保育者のねらいからドッジボールを保育に取り入れた実践です。
 ドッジボール導入にあたって、保育者は「シンプルに定めた四つのルール」、「簡単で動きやすいコート」、「痛くないボール」の三つの配慮を設けました。簡単なルールから始めたことで、子どもたちはまず存分にドッジボールを楽しむことができ、回数を重ねるごとにどんどん自分たちでルールを作り、遊びを深めていきました。

 今回はこの実践から、「5歳児において子どもたちが自分たちで遊びを深めていくことを通して、人間関係を作っていくための具体的な手立ては何か」について議論しました。

 討議では、この実践のポイントである「三つの配慮」の設定について考えました。ラインをシンプルにすることで遊びを中断してしまう争いが減ることや、ボールが痛くないので苦手な子も参加しやすく、みんなでできること、シンプルなルールから始まったことにより、子どもたち自身で遊びを深めていくことができることなど、「三つの配慮」により遊びが発展しやすいかたちで導入されていたことが分かりました。

 討議を通して、5歳児の人間関係の深まりにおいて大切なのは、まずはみんなで遊ぶ楽しさを知ることであると考えました。実践では「三つの配慮」の設定により、男の子も女の子も運動の苦手な子も得意な子も、どの子も一緒になって遊ぶことができていました。いつも一緒に遊んでいなかった友だちとも楽しい雰囲気の中でふれあうことで、関係が深まっていくのではないかと思いました。また、子どもたちが遊びを深めていく中で、保育者が話し合いやトラブルにどのようにかかわるのかということもとても重要であると思います。今回の実践では、保育者はあまり介入せず子どもたち自身で話し合ったり相談したりしており、そのような活発なふれあいが子どもたちの中に自然とできていくように、保育者は場の設定を工夫していく必要があるのだと思いました。

11.2.18

子どもが本当にしたいことを探りながら(香西)

失礼します。小学校コース 特別支援教育領域3年の香西真愛です。今回は保育内容の指導法(人間関係)の授業で、『子どもが本当にしたいことを探りながら』(岡山:あゆみ保育園4・5歳児混合クラスの保育実践/ちいさいなかま〈全国保育団体連絡会/ちいさいなかま社〉555号,2011)という実践について討議し、考えたことを書きます。

 この実践では、気持ちや場面の切り替えが難しかったり、気持ちを表出する手段が少なかったりする子どもが、自分の要求をもとに次へと気持ちを向けられるようにしたり、周りの友達と同じ仲間として関わりあったりできるようにするために、全体への保育ともうひとつの保育を通して子どもたちに関わっていくものでした。そうすることで、少しずつ自分で気持ちを向けられるようになったり、障害の有無に関わらずお互いを仲間として認識し、認め合えるようになったりしていきました。

 討議では、以下の2点に絞って話し合いを進めました。1点目は、気持ちの切り替えや、気持ちの表出がなかなかできない子どもが持っている気持ちを、保育者が認識し、受け止めるためにはどのような手立てが必要なのかということ。2点目は、この実践の中で大切にされてきた、子ども一人ひとりが大切にされ、その子どもに必要だと思うことをする『もうひとつの保育』がどんな場で展開されているのかということです。

 今回私はこの2点のうち、後者について考えたことを書きたいと思います。先ほども述べましたが、その子どもに必要だと思うことをする『もうひとつの保育』というのは、全体への関わりである全体の保育に対して、個別の子どもへの関わりのように捉えられます。そのためもうひとつの保育をするときは、子どもと保育者の1対1の関わりなのだろうかと考えていました。しかし、この実践について討議していく中で、そうではないことに気付くことができました。このもうひとつの保育というのは、他の子どもたちが元気にいきいきと活動している中で行われるものであるのです。つまり、全体への保育ともうひとつの保育は分離しているのではなく、どちらもが影響し合って、欠かすことのできないものであるのです。この実践で登場する、気持ちの切り替えがスムーズにいかないAちゃんが、散歩へと気持ちを向けて、自分から友達の輪に入っていけたのは、保育者の関わりだけがそうさせたのではなく、周りの子どもたちが元気でいきいきと遊んでいたり、「○○してるからおいでー」という友達の声掛けがあったりしたからではないでしょうか。周りの友達に目を向けられるようになり、友達の存在が大きくなってくるのは、4歳児から5歳児にかけての時期なのではないだろうかと思いました。だからこそ、1対1のもうひとつの保育だけではなく、周りの子どもたちも含めた全体の保育、この両方の保育がこの時期の子どもたちの発達には特に重要であるのではないかと考えました。これまでの私は、個のニーズに合わせた教育や、個に対応した保育を考えることが多く、子どもと保育者1対1の関わりを重視してしまっていました。この実践を読み、個の発達には、その子どもへの関わりだけではなく、周りの子どもへの関わりも重要であることに気付き、自分自身の保育の指導観や子どもへの関わり方を見つめ直すことができました。また反対に、集団の発達のためには、個への関わりが欠かせないものになるのだと思います。個と集団は対立関係にあると見られがちですが、そうではなくて、どちらも欠かせない繋がったものなのだということを知ることができました。

6.2.18

ブロック遊びからかまぼこ板を用いた遊びへ(橋本)

 失礼します。幼児教育コース3年橋本恵梨奈です。今回は保育内容の指導法(人間関係)の授業で、「ブロック遊びからかまぼこ板を用いた遊びへ:4歳児クラス」(香川:香川大学教育学部附属幼稚園4歳児クラスの保育実践 <論文>幼児期の協同的経験を支える保育環境に関する研究―モノの役割に焦点をあてて― 松本博雄・松井剛太・西宇宏美/2012/保育学研究第50巻第3号 本文中【事例2】)という実践について討議し、考えたことを書きます。

 この実践は、3歳児クラスからの進級児と4月から幼稚園に通うようになった新入児の間にある壁がなかなか消えず、3歳児までの遊びと4歳児の発達面から取り入れたブロック遊びでトラブルが起きたり、遊びに飽きた様子が見られたりしたことから始まりました。そこには「自然に進級児と新入児が一緒に遊べるようになってほしい」「友だちとかかわりあいながら、思う存分遊びを楽しんでほしい」という保育者のねらいがありました。
 ブロックの代わりに、過去の実践で子どもたちがいきいきと活動していた「かまぼこ板積み木遊び」を取り入れると、クラスで人気の遊びになりました。また、子どもが興味を持っていたビー玉コースも保育に取り入れようと保育者が苦戦していたところ、子どもの中からかまぼこ板積み木を使ったビー玉コース遊びが生まれました。この遊びが長く続けられるなかで、一つの遊びを続けることのなかった子どもが試行錯誤し工夫を凝らして夢中で遊び、友だちや保育者に積極的に関わっていく姿が見られるようになりました。

 討議では、「子どもが友だちと一緒にいきいきと遊びに向かえるような保育を提案し、援助していくためには、具体的にどのような手立てが考えられるか」を論点として話し合いました。

 討議を通して、保育に遊びを取り入れるとき、これまで楽しんできた遊びと新しい遊びを関連させることで興味がさらに広がるのではないかと考えるようになりました。また、同じ遊びを続けるほど工夫が凝らされ発展していく姿が見られた子どもの実習中のエピソードもいくつか知り、子どもが豊かに遊ぶためには新しいものをどんどん取り入れるよりも、一つの遊びをじっくり楽しむ環境を設定することも大事なのではないかと感じました。
 ブロック遊びは子どもの姿を予想して保育者が取り入れた遊びでしたが、ブロックの形が具体的で想像が広がりにくかったこともあり、なかなか遊びが深まっていきませんでした。しかし、子どもが興味を持った「かまぼこ板積み木遊び」と「ビー玉コース遊び」が合わさり生まれた遊びは、子どもの遊びたい気持ちを満たすものとなりました。このことから、子どもたちの中から遊びは生まれてくるものなのではないかと思ったので、4歳児の保育においては、保育者は主体となって遊びを提供するのではなく、きっかけを提案する存在でありたいと考えました。子どもが興味をもっていることがらを上手に掬い上げ、保育に取り入れていく援助が大切なのではないかと思います。

1.2.18

【2/25開催】はぐくみ×カレッジ by 香川大学 at さぬきこどもの国 2018 のお知らせ(松本)

以下にご案内しておりました「はぐくみ×カレッジ by 香川大学」は、当初予定していた2/4が雪によるさぬきこどもの国休園のため、2/25に延期し開催されることになりました。
みなさんとご一緒できるのを、楽しみにお待ちしております。

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本年度もまた、さぬきこどもの国と香川大学教育学部幼児教育コースのコラボレーションイベント「はぐくみ×カレッジ by 香川大学」が迫ってまいりました。
(2/1(木)四国新聞社発行「かがわエンタメマガジン」に掲載されています)

日時は今週末。2/4(日)の11:00-12:00/13:30-15:00 に、さぬきこどもの国にて行われる、子どもたちと保護者のみなさんを主な対象とする、楽しい遊びのイベントです。
今年のテーマは「四季戦隊 春夏秋冬レンジャー」
寒い日々が続きますが、レンジャー達と一緒に四季の移り変わりを楽しんでいると、気づけば春が見えてくるかもしれませんよ!

香川大学教育学部幼児教育コース2年生を主に、さぬきこどもの国のスタッフのサポートのもと、一緒に準備を進めております。
よろしければ、ご家族みなさんで参加いただけると嬉しいです。
友だち同士、親子のみのペアでももちろんok。
ともに楽しい時間を過ごしましょう!

お問い合わせは、さぬきこどもの国まで。
当日お目にかかれるのを、楽しみにお待ちしております!


23.1.18

それぞれの友だちへの一歩を支える(稲葉桃子)

 失礼します。幼児教育コース3年稲葉桃子です。今回は保育内容の指導法(人間関係)の授業で、「それぞれの友だちへの一歩を支える」(愛知:けやきの木保育園4歳児わかば組の保育実践 発達する保育園 子ども編:子どもが心のかっとうを超えるとき 平松知子/2012/ひとなる書房 および関連研修会資料より一部抜粋し編集)という実践について討議し、考えたことを書きます。

 この実践は、3歳児から入園してきていつも一緒におり、全体での取り組みにもなかなか入ってこないりひと君とえみかちゃんが、安心できる関係を仲間の中に築いていくためにはどうすればよいのか。二人でいることの安心感を土台に、時に背中を押しながら、二人が安心して仲間の中に入ってこられることを信じて待つという狙いのもと行われました。
 保育者がそれまでの実践の中で、保育者が子どもの気持ちをすべて受け止めるのではなく、自分で考えて自分で気持ちを落ち着けることが大切と考えたことから、りひと君とえみかちゃんには友だちの気持ちを友だちの言葉で伝えること大切にしていました。周りの子どもたちも自分の気持ちを二人にストレートに伝える中で、だんだんと二人を遊びに誘うようになり、やがて二人から保育者や友達を誘って遊ぶようになりました。

 討議では、「4歳児において、仲間の中で安心できる関係を築いていくための具体的な手立ては何か。」を論点として話し合いました。

 討議を通して、集団でいることの楽しさを子どもが感じられるようにすることが、仲間への安心感を育むうえで大切なことであると考えます。そのために、集団での楽しい遊びをたくさんして、集団でいることの心地よい経験を積み重ねていくことができると思います。
 また、「友だちの声」がひとつのカギになっていると思いました。保育所保育指針第2章子どもの発達2.発達過程(7)おおむね5歳【仲間の中の人としての自覚】に「子どもは次第に仲間が必要であることを実感し、仲間の中の一人としての自覚が生まれ、自分への自信と友達への親しみや信頼感を高めていきます。」とあるように、「友だちの声」が先生に受け止めてもらうことよりも子どもにとって響くようになっている時期なのではないかと思います。たくさんの「友だちの声」を聞きながら、自分の気持ちを友だちに伝えながら、自分で考えられるような援助が大切なのではないかと考えます。その繰り返しの中で、仲間の中で安心できる関係が築かれていくのではないかと思います。

18.1.18

みんなに認められることの大切さ(濱田)

 失礼します。特別支援教育コース3年濱田幸歩です。今回は保育内容の指導法(人間関係)の授業で、「みんなに認められることの大切さ」(大阪:貝塚市立葛城保育所4歳児きりん組の保育実践 ちいさいなかま 全国保育団体連絡会/ちいさいなかま社)という実践について討議し、考えたことを書きます。

 この実践は、友達との関わりが少なく言葉が出ることも少なく戸惑う姿が見られるAくんと、そのAくんの姿に気付きながらも接し方が分からず戸惑う姿が見られるクラスの子について、相手の姿を認め、考え、友達への思いへつなげていってほしいというねらいのもとに行われました。
 保育者が、Aくんの様子についてお母さんや職員会議で共有したり、Aくんが遊びの中心となる声掛けやじっくりと話し合う機会を設けたりしたことで、Aくんからは友達とつながりたいという思いが見られるようになりました。

 討議は、「子どもが個から集団へ目を向けるきっかけとなる声掛けや場の設定として、具体的にどのような手立てが考えられるか」を論点として行いました。討議の中で、Aくんを集団に入れるのではなく、クラスの子からAくんに関わりをもつような場を設定することや、子どもの言葉を待つことが重要だという意見が多く出ました。

 集団生活の場では、集団になじめない子に対してどのように集団に入れていくかを考えることが多いように思います。しかし、無理に集団に入れようとするのではなく、周りに働きかけて、その子が遊びの中心となるような環境作りを行っていくことで、自分も集団の一員になれたという安心感が生まれるのだと感じました。このような手立てを行うためには、保育者がその子の想いを理解していることが必要不可欠だと考えます。子どもの本当の想いは何なのかを知るためにも、一度「個」に戻って子どもの話をしっかりと聞き、受け止めていくことが大切だと学びました。保育者が「個」を大切にする姿を見せることで、子どもたちも友達を認めることができる温かい「集団」になっていくのではないかと思います。

11.1.18

雨降りいも掘り遠足へ出発!(森)



 失礼します。小学校コース生活総合三年の森菜月です。今回は、保育内容の指導人間関係「雨降りいも掘り遠足へ出発!」という実践について討議し考えたことを書きます。

 この実践では、3歳児の日々の生活や遊びの中の楽しさは、子供たちのなにを育てるのか。また、楽しい活動とは具体的にどのようなものなのかというねらいを持って取り組んだ実践です。
 ずっと子どもが楽しみにしてきた「いも掘り遠足」。しかし、雨のせいで二回も延期になってしまいました。保育者は、子どもの気持ちをくみ取り、新聞紙をおいもに見たてたり、園内をぐるっと遠足気分で回ったりして、雨降りいも掘り遠足を行いました。その活動の中で、最初は、子どもが受け身でしたが、後半には、自分たちで積極的に活動する様子が見られ、雨降りそういも掘り遠足を満喫していました。

 今回は、この実践から、『三歳児が「楽しい活動」を行なっていく上で、保育者の働きかけとしては具体的にどのような手立てが考えられるか。』について話し合いました。


 この実践では、子どもがいも掘り遠足が楽しみという前提があり、おいもに関する絵本を読むなどして、子どもの中では、いも掘りという共通のイメージを持つことができていました。また、雨が降りいも掘り遠足が中止になる場面でもしっかりと気持ちの共有をすることができており、子どもや保育者間での気持ちの共有をしていました。雨降りいも掘り遠足では、園内で行うことであってもリュックを背負うことなどで子どもたちの楽しみわくわくという気持ちを膨らませることを保育者はしていました。楽しいという雰囲気が子どもにも伝わり、最終的には子どもが中心となって活動することができたのではないかと考えました。

 三歳児は、自分だけの世界から自分以外の他者と出会っていく時期への変化の年でもあります。その中で、なかまとことばをやりとりしながら気持ちを共有することが大切であると考えました。また、楽しい雰囲気を保育者から発信して子どもに伝線するような雰囲気づくりも保育者には必要であると分かりました。


4.1.18

あそびのなかでとがった心をほどいて(高橋)

失礼します。小学校コース心理領域3年高橋綾です。今回は保育内容の指導法(人間関係)の授業で、「あそびのなかでとがった心をほどいて(愛知:けやきの木保育園3歳児クラスの保育実践/ちいさいなかま(全国保育団体連絡会/ちいさいなかま社)555号, 2011)という実践について討議し、考えたことを書きます。

 この実践では、子どもがドキドキしたり不安になったりする気持ちを、保育者や友達に安心して言えるようになるために、絵本の世界をうまく活用して、友達といるのが楽しいという関係を築けるようにしたり、保育者が子どもの思いに丁寧に寄り添って受け入れたりするものでした。そうすることで、最初は自分の気持ちをうまく表現できなかった子も、保育者がそんな子どもたちの思いを丁寧に受け入れて、気持ちを代弁することによって、少しずつ自分の気持ちを安心して、素直に言えるようになっていきました。

   討議では主に、子どもたちが自分の気持ちを安心して言えるような関係を作るには、どのような手立てがあるのかを、子どもへの働きかけと保護者への働きかけに分けて考えることができました。

  まず、子どもへの働きかけは、何よりも子どもの思いを保育者が受け入れることが大切と分かりました。もし、子どもがじっとしていなければいけない場面でドキドキして、走り出したとしても、その行動を否定せず、気持ちも行動も受け止めたり、いつも気持ちを我慢している子には、ちょっとしたときにでた本当の気持ちを受け止めて、言えたことをほめたりするもの必要と分かりました。さらに、保育者が友達の気持ちを代弁して、子どもに伝えることで、少しずつ友達の気持ちも理解できるようになっていくと分かりました。

  保護者への働きかけとしては、保育しているときの子どもの行動だけを伝えると、悪く聞こえるかもしれないので、「○○だったから、○○したんですよ。でもよく頑張っていました。」など、前後の気持ちも含めて伝えることで、子どもの気になる行動も、肯定的にとらえることができるようになると分かりました。また、伝えるだけではなく、保護者からも話を聞いて、思いを受け止めることで、お互いに信頼を持てるようになり、良い関係が築けるようになるのだと分かりました。

 いずれにせよ、相手の思いを受け入れることは何よりも大切なのだなと思いました。保育者の思いこみや先入観で、勝手に子どもや保護者の気持ちをとらえてしまうのではなく、まずは寄り添って丁寧に思いを受け止めることから全てが始まっていくのだと思いました。