20.6.18

ゼミ: 18th Jun 2018(山地)

修士課程幼児教育研究室の山地です。

 今回は『レッジョ・エミリアの教育学-幼児の100の言葉を育む-[秋田喜代美,2003,佐藤学・今井康雄(編)『子どもたちの想像力を育む:アート教育の思想と実践』東京大学出版会 pp.73-92]』を用いて、みんなで議論しました。文献の中で登場したレッジョ・エミリアの実践や子どもの様子などについて、みんなが“素敵だなあ”“おもしろい!”と感じていたようでした。このように感じることができたレッジョ・エミリアの実践から自分たちは何を学べるのか、さらに日本の保育現場との違いは何なのかといった二点が議論の中心にありました。

 中でも、私がここで紹介したいと考えたのは、子どもの表現の経験を保育者がどのように支えるのかということです。レッジョ・エミリアの実践における子どもの表現の経験は、子どもの生活に根差したものから出発します。時には同じテーマの活動が数か月間も続くことがあるそうです。これは、表現活動の主体となる子どもの興味・関心から発信される“過程”としての経験です。レッジョ・エミリアの保育者は子どもの表現のきれいな完成(ゴール)を目指しているのではありません。子どもの表現の経験に耳を傾け、丁寧に意味を与えながら表現が成熟されるまでの過程に重きを置いています。

 そこで、日本の保育現場の実践における子どもの表現の経験について考えてみました。すると、レッジョ・エミリアのような子ども発信というよりは、保育者が子どもに表現活動の機会を与えているのでは、という意見が出ました。さらに、この機会はレッジョ・エミリアのような“過程”としての経験ではなく“単発的な”経験かもしれない、という意見も出ました。もちろん、日本の保育者も子どもの生活や興味・関心から表現活動のテーマを作ることはあります。しかし、レッジョ・エミリアの実践と決定的に異なるのは、保育者はあらかじめその活動における子どもの表現に見通しを持ち、その表現の完成に至るまでの道筋を明確に持っているという点です。

 また、レッジョ・エミリアの表現活動では、五感を“繋げる”もの、つまり表現活動の過程における様々な経験が繋がり合い、子どもの様々な感覚が相互に繋がりを持つことが特徴なのではという意見も出ました。一方、日本の保育ではレッジョ・エミリアのような活動の繋がりを持っているのか、活動ごとの繋がりをどのように捉えているのかというような、全体としての教育課程を改めて考えるきっかけにもなりました。

 子どもにとって表現とはどのような価値を持つのか。また、何のための表現活動なのか。そして、その表現活動に保育者が何を見出すのか。素材の特性を知るため?道具の使い方を学ぶため?身の回りの生活に興味を持つため?…

 日々の生活を子どもと共にする保育者だからこそ支えることができる子どもの表現活動について、深く考えさせられ、これからも考え続ける価値のあるテーマを今回の議論から得ることができました。


※写真は本文と関係ありません

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