29.6.18

ゼミ: 25th Jun 2018(田中志歩)

先日のゼミは、発表を私ができる日でした。
2週間前頃から、何についてみんなで話し合えば面白いかなあ。
そんなことを考えながらレジュメを作成しました。
私の専門は国際教育開発で、研究テーマはバングラデシュの少数民族教育です。
だから、こういう研究の話を持っていったらみんなと、どんな話になるのかなあとワクワクドキドキしながら、発表しました。

今回のテーマは「学校の役割って何だろう?」にしました。

話し合った内容をまとめる前に、修士論文執筆のための研究で扱うバングラデシュの小規模少数民族のクミ民族について簡単に先に書きます。

クミ民族の人口は2999人(2017)。
少し古いデータですが2008年のCHTDF(Chittagong Hill Tracts Development Facility)の調査によるとクミ民族の非就学率は88%と、バングラデシュの少数民族の中で一番非就学率が高いです。

こんな、クミ民族の村に日本人が訪れると、よくこんな言葉をかけられる場面に遭遇します。
それは、「ここにいる子どもたちにとって学校っていらなくない?」「みんな幸せにくらしてるじゃん。」です。
これらの言葉を、耳にすると私は(ああ。また、でた。どうしようかなあ。)という困惑する気持ちと、学校に行くことが当たり前の環境として整っている日本で育った私たちが相手の生活を表面だけ見て、勝手にそんなこと言っちゃだめじゃないの。と、少々のいらだった感情があふれてしまいます。
でも、豊かな自然、自給自足の生活、大家族に親戚たち、おせっかいなぐらいかかわりを持とうとするご近所さんたち。今の日本の姿と比較して、その人的資源や人とのつながりの濃さに対する実態を目の当たりにすると、そんなコメントをする人の気持ちも分かるのが正直なところです。

しかし、バングラデシュは2007年に初等教育就学率が97%を達成していて、バングラデシュの大多数の人々にとっては学校に行くことが当たり前になっているのが現状です。それでも、やっぱりクミ民族の子どもたちには学校はいらないのでしょうか。

こんな疑問をずーっと抱えながら、答え探しの毎日を過ごし、学会発表の際にも、毎回のように「このような環境にいるクミ民族の教育の必要性とは?」という「そもそも」を考えさせられる問いが投げかけられ、なんて答えればいいのだろうか。
研究が進めば答えが出るものだろうか。と、思い悩んでいました。

発表しながらみんなどんなことを考えるんだろう。と考えていましたが、話し終わった後に、みんなが「子ども目線」でのコメントや質問をしてくれたことが私はとても印象的でした。

調査に行くと先生や親といった「大人」と私は話しがちです。
子どもは、見ていてかわいいけど、インタビューをしてみても、言ってることは分かるのだけど意味が取れなかったり、些細なことが返答として帰ってくることが多いので、どうしても、避けてしまいがちにしてしまっている自分に気づかされました。

それでも、やっぱり、幼児研究科のみんなの視点は難しくても「子ども」なのだなあということが分かって、夏の訪問の際には「子ども目線」を1日1回はできるようにしたいと思いました。

また、みんなの質問や、松本先生からの話の中で
「ここじゃない場所を見せることのできるツールとしての学校や教育」という言葉がしっくりきました。
クミ民族の人々が、教育を受容する中でどのような変容が起きているのか、そして、起きてくるのかをつぶさに調査していきたいです。

そして、これから修論までに、クミの村と同じような状況に昔あって今は学校に行くことが当たり前とされているケース(バングラデシュの大多数のベンガル人の村など)が、どのように学校教育が入ってきたことで変容してきたのかを調べてみたいと思いました。

写真は、クミの村にある公立小学校(バングラデシュの小学校は1~5年生)の様子です。
小学1年生から3年生の児童が同じ教室で勉強しています。(4・5年生が一緒の教室)
まだ、ベンガル語を話すのがちょっと恥ずかしいようで、話しかけると、ぴゅーっと、逃げて行かれてしまうこともしばしば。
また、みんなに夏に合えるのが楽しみです!


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