月曜日, 2月 20, 2017

子どもとともにつくりあげていこう―初めての年長保育をとおして―(近藤あか里)


失礼します。特別支援教育コース3年の近藤あか里です。

今回は、保育内容の指導法(人間関係)の授業で『子どもとともにつくりあげていこう―初めての年長保育をとおして―』という事例をもとに討議を行い、考えたことを書いていきます。

 

この実践には、保育士になって3年目の保育者が、年長にあがり落ち着きのない子どもたちをなんとかしようと奮闘する姿が描かれています。最初の頃は子どもたちの中に入らず、傍から見守ることが多かった保育者。子どもたちの発想で自由に遊んでいるのだからとあまり深くは中に入っていきませんでした。しかし、子どもたちの外にいることで、トラブルが起きても事後対応となることが多く、どうしたらよいのかと悩みます。いろいろと考えを巡らせる保育者でしたが、子どもたちのことをもっと知りたいと思った時、外から見守るだけではなく、子どもの遊びや関係の中に踏み込んで入って理解していかなければいけないことに気づいていきます。

様々な実践を通し、子どもと一緒に考えることのできる環境づくり行うことで、保育者も子どもの「仲間」の一人となり、子どもとの関わりを深めていきました。

 

今回の討議を通して多くのことを考えさせられました。結局見守ることよりも子どもの中に入っていくことが大事なのか。子ども理解をする際大切なこととはなんなのか。

要はバランスが大切なのだと思います。子どもの中に入らず見守ることで、子どもたちだけで成長していくことだってありますし、子どもの中に入って一緒に成長していくこともあります。状況把握をしっかりと行い、その場、その子に合った対応を行うことが大切なのだと思います。

また、共感する気持ちも大切だなと感じました。先生が子どもの仲間に入ろうとしても、子どもから見たら先生は先生です。子どもに仲間と感じてもらうために、気持ちの共有や共感する気持ちが大切だと思います。そのために適切な題材選択を行うことも必要な場合もあるでしょう。

言うことは簡単ですが、実際に行うとなると難しいことです。そのため、在学中の時間のあるうちに自分の中の引き出しを増やしていきたいです。卒業まであと1年。あっという間に過ぎて現場に出ることとなります。「子どもとのやりとり」の引き出し、「楽しいこと」の引き出し、「遊び」の引き出し等、残りの時間で様々な引き出しを増やして現場に出ることができたらなと思います。

火曜日, 2月 14, 2017

友だちとともに自信をもって卒園すること(瀧 寧々)


失礼します。幼児教育コース3年の瀧寧々です。今回は、保育内容(人間関係)の授業で『友だちとともに自信をもって卒園すること』という事例(京都府:朱一保育園5歳児クラスの実践 ちいさいなかま(全国保育団体連絡会/ちいさいなかま社)615号(2015))について討議し、考えたことについてまとめていきます。



1クラス36人の5歳児ぞう組の子どもたちの実践です。進級当初、ぞう組の子どもたちの中には、どこか自信のない子が多くいました。自己肯定感を高めるために積み重ねた保育(一対一、友だちの中で認められる、自分で達成感を感じられるように、手ごたえ、共同でなしとげること)を大切にすることが、なかまとともに自信をもって卒園することにつながっていくといった実践でした。保育の前半では、子どもの不安や緊張をうけとめ、寄り添うことを大切にしてきました。保育の後半では、「なかまの中で弱い自分を出していいんやで」という願いをもって保育をしてきました。


グループごとに分かれて、次の2点の論点で話し合いをしました。


まず1点目は、“5歳児保育の中で子どもたちがまるごと自分をわかってもらえている・認められていると感じるためには?”です。まず、この論点を話し合う上で、まるごとってなに?という話が出ました。できない自分もさらけだせることができたら、まるごと?ありのままの自分でいれることがまるごと?という意見もありました。話し合いを進めていく中で、評価の多様性・活動の多様化が、子どもをまるごと認めていくことにつながるのではないかという話がでました。
できる、できないを強く意識してしまう5歳児。できる、できないは視覚化されやすいため、子どもたちも、保育者もそこに目がいってしまいがちです。しかし、だからこそ、そこだけにとらわれるのではないということが、大切なのではないかと感じました。「できなくても、頑張ろうとしているあなたのことを、私もみんなも見ているよ。わかっているよ。」と見守り、その姿を支えていくことが、その子のことをありのまま、まるごと受け入れることにつながっていくのではないかと考えました。


次に2点目は、“保育の中における、行事の意味は?保育者はなにを願って、行事に取り組むのか?”です。実践の中でも、運動会や生活発表会を通して子どもたちが達成感、満足感をもち、自己肯定感を高めていっていました。行事といえば、毎年その時期がきたからやらなければいけない。だから、する。行事が1つのゴールになるといった取り組み方になってしまいがちなように思います。しかし、行事にねらいをもって取り組むことで、その行事が次の遊びや、新しい子どもたちの姿につながっていくこともあるということが話し合いの中ででました。子どもたちの主体性を大事にしながらも、保育者のねらいをしっかりともって、題材を決めていくことも行事のキーワードだと感じました。



講義の最後に松本先生がおっしゃっていた、「子どもと つくる 保育だからね!」という言葉が忘れられません。保育者だけがいくら頑張っても、子どもたちだけがいくら頑張っても、うまくいきません。子どもと保育者が一緒になって、遊んだり、楽しんだり、考えたり、葛藤したり、することが保育なのだと改めて感じました。

火曜日, 2月 07, 2017

ブロック遊びからかまぼこ板を用いた遊びへ(小野汐里)

失礼します。特別支援教育コース3年小野汐里です。

今回は、保育内容の指導法(人間関係)の授業で『幼児期の協同的経験を支える保育環境に関する研究 -モノの役割に焦点をあてて-』という論文の中の4歳児クラスでの事例、「ブロック遊びからかまぼこ板を用いた遊びへ」から考えたことについてまとめます。

この事例の行われた対象園は、4歳児クラスは進級児と新入児の混合クラスとなるため、保育者は不安を感じやすい子供たちに対しての安心できる環境構成の一つとして、保育室にブロックを用意しました。動物などの具体的な形のものを含むブロックから、自由度が高く、比較的数が多く用意できるかまぼこ板へ子どもたちの遊びが発展していくという内容でした。

ディスカッションでは「4歳児の子ども間の協同的な学びを支えるため、モノを通して保育者はどのような関わりができるか」について話し合いました。今回の実践のブロックからかまぼこ板へ遊びが発展していったという内容から、子どもたちの協同的な学びを促すモノは、必ずしも具体的で目的が明確である必要はなく、多様な可能性を内包したモノと、それに対するイメージを膨らませていける基盤となる経験によって子どもの学びが発展していくということが読み取れました。グループの話し合いでは、「協同的」とは、同じ目的をもってみんなで、という意味であるので、自由度が高く、大人数でもできる遊びが学びを深める要素になるのではないかという意見が上がりました。大人数の遊びの中で、それぞれの遊びの様子を「こんなのができているよ」などほかの子どもに広げる声掛けを行ったり、怒ってしまったトラブルを価値あるものとして捉え、子どもの気持ちを認める働きかけを行うことで、「みんなと一緒に」という気持ちを育むことができるのではといった話が出ました。

また、クラスの中の子どもたちの意識や人間関係の段階も重要だという話が上がりました。今回の事例では、はじめは楽しかったブロック遊びから、少しずつ不便さを感じ飽きてきたタイミングでかまぼこ板を用意したことで、なんにでも見立てて遊べるかまぼこ板を使った遊びが発展していきました。また人間関係においては、まだ子どもたちの関係性が広がっていない中で数の少ないモノを用意してしまうとトラブルが生まれてしまいますが、反対に十分に作られているときには、子どもたちの間でのやり取りも多く生まれるのではないかという意見でした。

4歳児は自分の心の中の言葉の発達によって、想像力・空想力が豊かになる時期です。かまぼこ板や、自然物、また物体だけではなくイメージなどの形を持たないものなどの様々な見立てができるモノを通し、保育者が子どもたちの想像力を膨らませる、認める声掛けを行うことにより、子どもから子どもへ自分の遊びを広げていこう、そこに参加したいという意欲を育み、遊びを広げてゆくことができるのではないかと考えます。そこに共通したイメージを加えることにより、同じ目標に向かってみんなで、という一緒に遊び協力するための手掛かりが生まれていくだろうと感じます。そのためには、保育者が子どもたちの興味関心、考えに目を向け、受け止めていく働きかけが大切であると考えることができました。

日曜日, 2月 05, 2017

それぞれの友だちへの一歩を支える(中桐宗一郎)

失礼します。幼児教育コース3年の中桐宗一郎です。今回は保育内容の指導法(人間関係)の授業で『それぞれの友だちへの一歩を支える』という事例(名古屋市 社会福祉法人熱田福祉会けやきの木保育園4歳児わかばぐみの保育実践 発達する保育園 子ども編:子どもが心のかっとうを超えるとき 平松知子 ひとなる書房(2012))を読み、考えたことについて書いていきたいと思います。


この実践は、いろいろなところで不安を感じ、一歩を出すことができない4歳児わかばぐみの子どもたちの姿を、和田保育者が支えていこうとする実践です。ひろむの思いを引き出すために一対一で受けとめようとするも結局ズブズブの関係になってしまったり、友だちに謝りたいゆらを立ち直りの力を信じて待ったり、運動会に向けて「力を合わせる」「がんばっててかっこいい」ということを、もんもんびゃっこの力を借りながら子どもたちと考え合ったり、2人でいることでしか安心感を抱けないりひととえみかに対して、周りの子どもの気持ちを直接の声で伝える援助などで、2人の関係が「2人であればそれでいい」から「2人でだったらやってみたい」になっていけるように関わったり、和田保育者自身も葛藤しながら、子どもたちが揺れる自分の気持ちと向き合うことを支えていきました。


話し合いでは、気になる子どもの周りの子どもにも目を向けることって大切だよね、周りの子どもの気持ちを保育者が伝えると、保育者からのメッセージが強く伝わってしまうよね、大人は子どもと子どもをつなぐけど、決めるのは子どもなんだよね、などの意見が出ました。

また、2,3歳では子どもが自分の言葉で伝えられないことが多いので、保育者が子どもの気持ちを代弁する援助が大事ですが、4歳では周りの子の言葉をそのままの声で伝える援助をすることで、保育者に言われるより心に響いたり、納得するのではないかなという意見が出ました。りひととえみかが給食に行こうとしないときも、「グループみんな揃ってたらランチルームへどうぞ♪」と言うことで、グループの他の子が2人を自然に呼びに行くことができ、2人も他の子の気持ちに気づくことができたのではないかと思いました。

クラスのグループ分けについても触れていたグループもありました。今回のりひととえみかみたいな子たちってよくいるけど、保育者によっては別々のグループにしていたり、同じグループにしていたりするよね、和田保育者は2人や周りの子の雰囲気を見て、別々のグループでも大丈夫と考えたのかな?という話も出ました。

クラスの雰囲気や子どもたちの人間関係を把握しておくことが大切だねということや、子どもたちが安心して葛藤できるということを保障することが大切ということを確認することができました。

先生や大勢の友だちといっしょに遊ぶ楽しさを存分に感じて(木下香奈)

失礼します。幼児教育コース3年の木下香奈です。今回は、保育内容の指導法(人間関係)の授業で、『先生や大勢の友だちといっしょに遊ぶ楽しさを存分に感じて』という事例(香川県・香川大学教育学部附属幼稚園青組 5歳児)について討議し、考えたことを書いていきたいと思います。

この実践は、子どもたちがドッジボールを通して保育者や大勢の友だちといっしょに遊ぶ楽しさを感じるきっかけとなるのではないかと考え、両サイドの線がなく、平行に3本だけビニールテープで線を引いたコートと、ビニール袋(レジ袋)に新聞を入れて作った痛くないボールを用いてドッジボールを始めました。ドッジボールをする中でトラブルが起こった場合、話し合う場を設け、思いや考えを伝え合いながら子ども同士でドッジボールのルールをつくり、あそびを深めていきました。子どもたちは、ドッジボールを通して、ボールあそびの楽しさを実感したり、大勢で遊ぶおもしろさを味わったりしていきます。また、小学1年生とドッジボールをするという交流を通して、5歳児の子どもたちは自信をつけていくという実践でした。

最初に保育者が定めたドッジボールのルールは、①ボールが当たったら外野に出る②一度床についたボールは当たっても大丈夫③ボールが顔や頭に当たった場合はセーフ④外野にいる人が少ないチームが勝ちというものでした。このシンプルで曖昧なルールにより、この場合はセーフなのか?アウトなのか?という場面も出てきますが、自分たちで話し合うことによって、ルールを確立していきました。自分の思いや考えを伝え合い、折り合いをつけながらルールを確立していくことで、自分たちの遊びへとしていけるのだと思いました。このようにルールをつかいたくなる環境、自分たちで話し合いたくなる環境を保育者が設定することで、あそびを工夫する姿が見られ、子どもたちが主体的にあそびを深めていけるのだと思いました。

また、この実践では小学1年生との交流もありました。幼稚園の小学校との違いは、時間の制限がないということが討議の中で出てきました。時間の制限がないことで、満足できるまで遊べたり柔軟に遊びを変えられたりできます。そのような幼稚園だからこそ、友だちとかかわる中で、自分の思いを伝え合ったり、相手の思いを受け止め、折り合いをつけたりできるよう、保育者が支えていくことが大切だと感じました。