水曜日, 7月 11, 2018

ゼミ その2: 2nd Jul 2018(しおみん)

こんにちは。松本ゼミ4年のしおみです。いよいよ3年生が文献発表をしてくれるのも最後となりました。今回みんなで読んだのは、リリアン・G・カッツ『レッジョ・エミリアから何を学ぶか』[C.エドワーズ/L.ガンディーニ/G.フォアマン=編『子どもたちの100の言葉—レッジョ・エミリアの幼児教育』2001,世織書房, p37-65]です。
文献の中で、レッジョ・エミリアとアメリカの幼児教育では、モデルが違うとのことでした。レッジョのような大家族・地域モデルでは強く安定した人間関係の中で、時間的なプレッシャーがなく、自由に作業し、遊ぶことができます。それとは逆に、アメリカのような企業・産業モデルは教育が一方向的な過程ですすめられる中で、時間に縛られた一回限りの活動がされています。

今回、発表担当をしてくれたみほちゃんは、レッジョのような大家族・地域モデルでは、子どもの個性や得意を伸ばしやすく、苦手に目が向けられないのではないか、子どもの成長のためにはレッジョのやり方が必ずしも良いわけではないのではという議論を持ってきてくれました。それを聞いたときに、た、確かに…と思いました。

レッジョでは、子どもたちが知りたいと思うトピックについてグループで掘り下げて研究するプロジェクト活動が行われています。その活動の中で、子どもたちは絵を用いて記録しています。このような活動の中で、困難なことは沢山あるかもしれないけれど、子どもたちは苦手をあまり感じていないのではないかと考えました。それは、一緒にやる仲間がいること、自分たちが知りたいと思っているトピックだからこそだと思います。そして、このプロジェクト活動には教師自身も答えはないし、その活動の中で子どもが何を感じたか学んだかを教師が読み取っているからなのかなとも考えました。

そうなると、日本の保育では周りの子どもと比較されて苦手が分かりやすいということは確かだなと思います。そして、わたし自身も苦手なことや、周りに比べてできないことばかりだなぁと議論をしながら考えていました。大人でも周りの人と比べて、できないことや苦手なことを指摘されるのは辛いことで、できないことをできるようにする、苦手なことを得意にするというそんな単純なことではない気がします。じぶん自身も乗り越えていない苦手は沢山あります。でも、保育者だって、完璧な人はいないよなぁと勝手に自分で言い聞かせています。乗り越えていないことがあるからこそ、子どもが困難を乗り越えるときには一緒に悩んだり、ワクワクしたりすることができるのかもしれないと思いました。そして、ときには困難を与えることも保育者の仕事なのかなとも感じました。

いつもそうですが、なんだか、保育のことだけではなく、大学4年間のこと、それまでのこと、そしてこれからのじぶん自身のことも考えさせられる、そんな時間でした。

写真は今年の幼研合宿の様子です。ついでに、改めて撮ったゼミの集合写真も…。
今までとは違う新しいことに挑戦し、困難が沢山ありましたが、その先には子どもたちの楽しそうに遊ぶ姿がありました。
歴史の変わり目に立ち会った気持ち…。





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