8/10/2014

“明日”そして“あさって”(松本)

先週末は全国保育団体合同研究集会の基礎講座で福岡にて、昨日は山形県民間立保育園協会の講演で、山形市にて、どちら主に0〜2歳児の発達と保育の話をしてきました。
いずれのタイトルにも、保育での「今」の手立てを考えるにあたり、“明日”と“あさって”というキーワードをタイトルに含めたのですが、時間的に十分に話しきれなかったので、ここで少し補足したいと思います。

「明日」とは、予測できる、近い未来のことをさします。
今はまだできないけれど、明日の姿を願って、子どもに働きかけていく。保育や教育の中で、ごくあたりまえのふるまいといえるかもしれません。

いっぽう「あさって」とは、まだはっきりとみえないけれど、いつか訪れるだろう、少し先の未来のことをさします。
明確に目標を思い描き、それを先取りして、そのために効果的な手立てとして組み立てられるのが「明日」に向けたそれだとすれば、いっけん無駄のようにも思えるけれど、まずはやってみることで、その先に立ち上がる何かを味わっていこうとするふるまいが、「あさって」に向けたそれにあてはまるでしょう。

これから起きうることは予測できるか、というのは難しい問いですが、一般にある程度予測することは可能だと思うのです。そのための準備は、多くの場合役に立つはずです。
しかし一方で、時にヒトは、十分に予測していなかった状況にぶつかることがあります。
そのときにヒトは、どのようにふるまうことができるのか。
これまでの予測と積み重ねから、右に進むことを練習してきたヒトが、予想外の状況を前にして、とっさの判断で左に進めるためには、「明日」のためだけではなく「あさって」に向けた時間を、これまでの人生の中でどれだけ費やしてきたかが鍵になるように感じます。

いろいろなことがわかってきて、「秘境」や「わからないこと」が既にないようにも思える現代社会ですが、実際にヒトが社会で生きていく上では、どうしてよいかよくわからない、答えのない状況に置かれることもままあるでしょう。

「明日」だけでなく、「あさって」へのまなざしを、それまでにどれだけ育まれてきたか。
答えのない状況における、しなやかなふるまいの土台をつくるのも、公教育(保育)に課せられた重要な役割だろうと思うのです。

この問題はなかなか難しいので、いずれ続編を書こうと思いますが、とりあえず。


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