13.4.18

ことばをかけ合う(松本)

Canterburyに住み始めて、半月ほどが経ちました。
生活の基盤を一つずつ整えながらこちらでやりとりするなかで、いくつか気付かされたことがあります。

一つめは、年配者(特に女性)や子ども連れ、障がいをもつ人たちに対するさり気ない配慮をよく見ることです。例えば道のすれ違いで足を止めて待つ、交通機関の座席を譲る、荷物運びなどでさっと手を差し伸べるなど。私は一度おばあさんに軽く注意されて(恥ずかしい&ありがたい!)すっかりその習慣が身につくようになりました。
もちろん、そうでない人もいます。でも譲ったときには、相手はほぼ、笑顔と言葉で返してくれます。

二つめは、互いに声をかけ合う場面がとても多いこと。特に我が家の子どもたちは、生活の中のいたるところで話しかけられることが、日本に比べてすごく新鮮であるようです。
子どもに限らず、大人に対しても、お店、バス、郵便等の配達、その他生活の中のあらゆる場面で、あいさつプラス一言やり取りすることが、明らかに日本にいるときより多いと感じます。

三つめは、英語以外の言葉に慣れていること。
例えば私の名前 ‘Hiroo’ は、アメリカ人には「ヒルー」と発音されることが多かった気がします。(そう、‘school’ と同じ発音ということです。)
でも、こちらに来てからは、きちんと読んで(読もうとして)もらえることがほとんどです。
EU圏はビザなしで移動できることで、互いに母語が異なるのはよくあること(例えばスウェーデン語の名前を発音するのは難しい!)、また自民族の言葉が実質的な世界共通語となりながらも、それは実際には他国(アメリカ)で独自に進化した少し違う言葉であること等が影響しているのかもしれないと思います。


譲ること、言葉をかけ合うことは、その中身自体の意味ももちろんあると思うのですが、「あなたと私は敵対していませんよ」というメタメッセージを含んだものとなります。

立ち居振る舞いが基本的によく似た人で構成されるコミュニティ(日本の多く)では、声をかけ合わずとも、互いに分かり合える(気がする)、という前提でコトを進めることが可能なのかもしれません。

いっぽう、多様な出自と習慣をもつ人が含まれているコミュニティでは、相手にはっきり声をかけること、わかりやすい態度で意思を表すこと、何より互いをわかり合おうとすることは、日々の生活を安心して送る中で不可欠なことなのでしょう。

幼児期からの、言葉で自分らしく表現することへの価値づけと、それが十分でない人に対する尊重の態度が大事にされていることは、これらとつながっているかもしれません。

まだこちらに来たばかり。

日本でも東京が特殊であるように、Londonのような大都会と、地方では異なることも多いだろうと思います。引き続き考えていきたいと思います。



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