土曜日, 6月 27, 2020

6/23ゼミ『生きるためにあそぶーあそびが見えてくる社会にむけて』(髙橋)

 こんにちは。松本ゼミ3年の髙橋です。
 今回は、塩崎美穂「生きるためにあそぶーあそびが見えてくる社会にむけて」[松本伊智朗/小西祐馬/川田学=編『遊び・育ち・経験ー子どもの世界を守る』2019, 明石書店, p.71-95]を読みました。

 今回の担当は花ちゃん。あそび仲間に年下の子どもがいると、その子は鬼ごっこで捕まっても鬼にならないという「おみそ」について、「おみそ」がいるという異質性がおもしろさにつながっているのではないか。また、あそびは「自分自身を伝達する」ユニークで代替不能な行為であるからこそ、人間らしく生きていくために必要であるのではないか、と考えていました。
 ゼミでは「あそびをどう捉えるのか」を軸に議論を展開していきました。

 私は議論する中で、大人の遊びと子どもの遊びという視点から、子どもにとって遊びが如何に大切かを感じました。大人の遊びは、日々の仕事や学業に対する息抜きや気分転換として行われ、娯楽に近いのではないかと思います。娯楽はゲームのように、受動的に消費する遊びであり、永遠と更新され続けない限りいつかは限界(終わり)がきてしまうものです。それに対して、子どもの遊びは日常的であり、能動的に自分で生み出す遊びであるため、無限に発展・派生することができるものであると思います。だからこそ、1つの遊びを取り上げても様々な子どもの姿が見られたり、誰にも予想できないようなことがあちこちで繰り広げられたりするのでしょう。
 大人の娯楽のような遊びも子どもの遊びも、生活を豊かにするものであると思いますが、子どもにとって後者の遊びのような経験を沢山積むことが大切なのではないかと感じました。

 最後に、花ちゃんが話し合いたいこととして提示してくれた「あそぶ子どもを承認する」とはどのような援助や支援をすることなのか、について考えました。保育者が計画しすぎず、子どもから生まれてくるユニークさを大切にする、という意見に確かにそうだなと感じました。子どもが感じる楽しさは1人1人違うと思います。例えば、砂場遊びをする子どもたちの中でも、ひたすら掘っている子もいれば、砂を盛って高い山を作ることに夢中な子もいるでしょう。保育者の援助・支援として、子ども1人1人が感じる楽しさはユニークさ(=その子らしさ)であると捉え、それをしっかり認めて受け止めることが大切だなと思いました。

 松本ゼミのメンバーとなって早1ヶ月半。文献を用いた議論を通して、遊びや子どもについて自分の考えが少しずつですが広がったり深まったりしているように感じます。今後もいろんな考えや視点に触れていきたいなと思いました。



0 件のコメント:

コメントを投稿