月曜日, 6月 14, 2021

6/8 ゼミ『「個人」を尊重しつつ、「個人」を越える営みへ』(髙橋)

 こんにちは。松本ゼミ4年の髙橋です。

 昨年度に引き続き、文献発表が始まりました。今年度は、川田学(2019)「保育的発達論のはじまり」(ひとなる書房) をみんなで輪読していきます!今回は、序論「『個人』を尊重しつつ、『個人』をこえるいとなみへ」です。


 今回の担当はりっちゃん。保育における「量」の拡大の裏には子どもや保護者、保育者の「~したい」「子どもにこう育ってほしい」要求が隠されており、それぞれの人間らしさを保障されるべきである。今まで当たり前だったことは本当に絶対なのだろうか、と文献を通して考えていました。りっちゃんの考えを聞き、みんなで考えたことや印象的だったことをもとに話し合いました。


 りっちゃんは実習で、滑り台の上など午前中に遊んでいた好きな場所でお弁当を食べる子どもの姿を見て驚いたそうです。そこには「子どもが楽しかったという思いをもって食べてほしい」という保育者の思いが込められていることを知り、「ご飯はちゃんと椅子に座って行儀よく食べる」という当たり前に疑問を抱いたことを話してくれました。最初は床で食べていたけど、踏まれて嫌だった経験があるから机で食べるようになったという保育者の話から、経験したからこそ「なぜ机で食べなければならないのか」を落とし込めるのだろうという意見もありました。当たり前にも当たり前になった理由があるはずです。当たり前だからそれを絶対守らなければならないということはないでしょう。それを大人が理解したうえで、当たり前を問い直したり、覆したり、子どもに伝えたりすることが大切なのだと思います。少し話がずれるかもしれませんが、当たり前は当たり前じゃないかもしれないという意識をもつことで、自分にとっての当たり前は他者にとっては当たり前じゃないかもしれないと、違いの認め合いにもつながるのかもしれないと思いました。


 りっちゃんの問いかけである「主体的って具体的にどんな姿?」をもとに、“主体的であるための条件”についても議論しました。自分から「したい!」思い(意欲)がある、興味関心がある、自分の経験を振り返る機会がある(他者を通して振り返ることで他者を許容でき他者の主体性を支えることができる)、自分を認めてくれる・安心できる環境である、「したい!」ことを面白がってくれる人がいる、という意見が出てきました。これらの意見から、1人じゃ主体的になれないという展開になったのが印象的でした。自分を認めたり理解したりしてくれる他者がいるからこそ「したい!」を実現できる(主体的になれる)のでしょう。私はこの話から、信頼関係と主体性がつながっているように感じました。初対面の人やあまり話したことがない人に対して自分から話しかけるのをためらってしまいますが、「この人なら私の意見を受け止めてくれる」と思える人には、自身の意思や悩みなどを自分から打ち明けることができると思います。そのように考えると、保育所保育指針にある「保育士等との信頼関係を基盤に、一人一人の子どもが主体的に活動し」という部分には、「信頼できる他者がいるからこそ子どもが主体的になれる」という意味が隠されているのかもしれないと思いました。


 これから読んでいく第1章から第4章においても、子どもの主体性が議論の軸となっていきそうです。これまで様々な授業で主体性という言葉を聞き、考えてきましたが、主体性の具体的な姿をイメージしたり意味を説明したりすることは難しいです。今後授業や保育現場でもきっと多く耳にしたり使用したりすると思います。主体性とは何か。みんなと一緒に考え、深めていきたいです。



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