9/18/2012

専門職としての保育職への理解を拡げ、乳幼児の豊かな育ちを支える(松本)


少し前ですが、教育学部の後援会報に、松本自身の研究紹介として小文を書きました。
みなさんとシェアできれば嬉しく思い、以下に掲載します。
しばらく、時間をかけて考えていきたいと思っているテーマです。
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 「保育」や「保育職」という言葉を目にしたとき、どのようなことが思い浮かべられるでしょうか。幼稚園は「幼児教育」、保育所は「保育」とイメージされる方もいるかもしれません。しかしながら学校教育法には幼稚園の目的として「幼児を保育し……」ということが明確に規定されています。「保育」は保育所での営みを指す言葉としてはもちろん、幼稚園での営みを指す言葉としても大切に用いられてきたという歴史的経緯があります。つまり、「保育」とは幼稚園・保育所を問わず、広く乳幼児の発達と生活を支える営みとして、また保育職とは、幼稚園教諭・保育士をはじめとする、「保育」を通じて乳幼児と、それを取り巻く家族を支える専門職を指すと考えるのが適切な見方でしょう。
 ところで、この「専門職としての保育職」の営みは、一般的にはわかりにくい面があるかもしれません。「教科書」に代表される、系統的教授のためのカリキュラムが明確に定められ、授業前にねらいが明示され、その達成が個々の教科別にテストを通じ子ども毎に測定される義務教育以降のシステムに対し、幼稚園や保育所におけるそれは一見わかりにくいものです。ときにその実践は「ただ子どもたちと遊んでいる」ように見えることもあるでしょう。
 しかし実際には、専門職としての保育者は「遊びを通じての学び」を念頭に、いわば“考えて”子ども達と遊んでいます。たとえば1歳半ころを境に盛んになる、話し言葉の獲得に対する援助を考えてみましょう。それは、言葉そのものを大人から教えられて達成されるのではありません。言葉はないが伝えようとする「気持ちのやり取り」の枠組みの出現が先行し、それに具体的な言葉が追いついていく形で獲得されていきます。いわば私たち大人が、言葉の通じない国を訪れた際に、まずは「何とか言葉を伝えようとする」ことから始まるプロセスを再現するかのようにです。
 ここから示唆されるのは、話し言葉の豊かな獲得を支えるために必要なのは、言葉そのものを一生懸命大人が子どもに教示することではなく、まずは子どもが大人と「思わずやりとりしたくなる」場面をいかにつくり出すかがポイントになるということでしょう。素敵なオモチャよりも、大人が使っているペンや携帯電話に夢中になるように、この時期の子どもにとって「大人の姿」は何より心を惹かれる存在です。よって、子どもの目の前で大人が楽しそうな姿を見せたり、子どもの遊びに共感したりすることが、この時期の子どもの“学び”を前進させ、話し言葉を豊かに獲得するための土台となっていきます。
 目の前の子どもの「今」の姿から出発し、発達その他の手がかりを用いながら「次」を見出し、子どもが夢中になれる世界を提供することで「もっとやってみたい!」という一歩先の学びへと結びつけていく……乳幼児期ならではの豊かな学びの世界を保障し、それを少し前に進めるための発達心理学的な手がかりと、それを用いて専門的営みとしての保育および保育者のあり方を探ることが私の研究スタンスです。

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