11/08/2012

ベイトソン『精神の生態学』を読んでいます(松本・松井・常田)

 7月から月1回のペースで、松本・松井・常田と、教育学部で同僚の先生3名、ちょっとしたゆかりがあり、香川によく来られる研究者仲間の先生、大学院生と8名で、G・ベイトソンの『精神の生態学』(新思索社)という本を読んで討論する時間をつくっています。
 翻訳書で全669ページという分量なので、それなりに時間がかかりますが、中身は年代順に配置されているので、ベイトソンの思考の軌跡を追っていくかたちで読み解ける面白さがあります。ようやく中盤の、統合失調症を生じさせる循環関係の分析のところにさしかかってきました。

 このリンク先(松岡正剛さんの千夜千冊)にあるように、ベイトソンの論考は特定の学問領域に収まらないほど多岐にわたるわけですが、私なりに特に参考になるのは、問題の設定の仕方をはじめとする、考え始める出発点の部分です。
 たとえば、繰り返し学習における、1回目と2回目は同じとみなしてよいのか。
 同じように見える働きかけであっても、それを受け取る側にとっては、2回目には必ず、1回に“学んだ”傾向を背負ったうえで、新たな学習へと向き合うことになる。同じように見えるインプットであっても、やりやすくなったり、はたまた嫌になったり(なれたり)する。つまりここからは、プロセスを経ると、ヒトの学習は必ず複数の階層で展開するものであることが見えてきます。
 同じように見える働きかけであっても、なぜ「好きな先生」からのメッセージは心に響くのか。「教えたとおり」ではなく、教えた以上のことを学べるような環境設定をするためには何が必要か。保育や教育を考えるうえで、ありふれているけれど、そうはっきりとは解明されていない問題を考えるうえで、本書をベースにした議論を重ねることは、何らかのヒントになるのではないかと感じています。

 大学院生のときにも一度読んだのですが、今回は理論物理学など、専門領域が異なる方や、同じ心理学の専門家でも新しいメンバーで読んでいることもあり、新鮮な気分で臨んでいます。
 想田和弘さんのブログにあったように、やっぱり古典は「栄養分をたくさん含んだ土壌」だなあと実感します。
 すぐに花を咲かせることを求められることが多い昨今であり、大学人も例外ではなく、つい、日々の慌ただしさに飲み込まれてしまいそうにもなりますが(教育はじめ社会科学は特に?!)、「専門」の狭い領域に閉じることなく、「ヒトの社会」の問題を時間をかけて、大切な仲間とともに丁寧に考えることを大切にしていきたいと思う今日この頃です。

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