月曜日, 7月 06, 2020

6/29 ゼミ『遊びと遊び心の剥奪―障害と貧困の重なるところで』(高木)

 こんにちは!松本ゼミ3年の高木です。
 今回は、赤木和重「遊びと遊び心の剥奪―障害と貧困の重なるところで」[松本伊智朗/小西祐馬/川田学=編『遊び・育ち・経験―子どもの世界を守る』2019,明石書店,p.98-124]を読みました。
 今回の担当である未咲の考えを聞き、「人との『違い』をどのように捉えるか」、そして未咲のみんなへの問いかけであった「『よい遊び」とは何だろう」の二点について話し合いは深まっていきました。
 他者の間違いをすぐに正すのではなくその間違いを共有することで、優しさや面白さが生まれるという「ノリはやさしさ」という考えに触れ、ノリが生まれるにはその人との関係性が重要だと踏まえたうえで、確かに階段からこけたとき誰かが笑ってくれた方が救われるね~とノリが優しさに繋がっていることを再確認しました。そして「障害児になると、この手の笑いが「不謹慎」と感じられがちである。」という本章の記述から、自分たちが少なからず感じてしまっていた気持ちを打ち明け合い見えてきたことは、「違う」ことに対して意識してしまうということです。人と「違う」ことが良い意味でも悪い意味でも目立ってしまう世の中で、違っていて当たり前とは捉えられないのではないでしょうか。同じ方向をみんなで向き、つながろうとするのではなく、「ちがいながらつながる」ことを大切にする視点が私にとって大切にしたい大きな発見でした!
 そして『よい遊び』とは何かという未咲の問い。今よい遊びとされているのは①「適切な」遊び、②「一緒主義」の遊び、③「できないことをできるように」する遊びであり、知らず知らずのうちに私たちの中にも「よい」「正しい」遊びというものがあると考えさせられました。そして適切で、一緒に、できることを目指してする遊び観から一番抜け落ちやすいのは、障がいを持っている子ではないかという話がでました。そこから子どもの遊びを見る時、遊ぶこと自体が楽しいという視点をもって、いつからか持っている自分の中にある「よい遊び」の枠を超えて、楽しさや面白さを発見しに行くことの大切さを感じました。自分の考える「よい遊び」の枠を超えて楽しさを見つけることはとてもエネルギーがいることだと思います。まずは自分の中には「正しさ」がある、その「正しさ」から距離を置いてみる、という考え方を持っておこうと感じました。
 まだまだ自分には難しい話も多いのですが、少しずつ自分の考え方が広がっていくようで、毎回ゼミが面白いなあと感じます。これからも周りの皆さんに刺激されながら頑張ろうと思います!!



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