月曜日, 7月 27, 2020

7/21 ゼミ『やはり、授業がプレイフルであること』(山﨑)

こんにちは!松本ゼミ3年の山﨑です。
今回は、石川晋「やはり、授業がプレイフルであること」(松本伊智朗/小西祐馬/川田学=編『遊び・育ち・経験-子どもの世界を守る』2019, 明石書店を読みました。
 今回の担当である高谷さんの考えを聞き、「プレイフルである」とはどういうことなのかみんなで話を深めていきました。
 様々な事例を読む中で、教科書の内容を教師がただ教えるだけというような受動的な学びではなく、身近な事柄をテーマとしたディベートなどの能動的な学びがプレイフルな授業につながるということが分かりました。そこから、子どもは自分の生活に関連していることに興味を示すのかな、実験するときに理科室に入るとわくわくする!というようなプレイフルは空間が必要なんじゃないか、大人が準備周到に全部を説明したり用意したりすると、こうしたらどうなるんだろう?という子どもの楽しみを奪うことにつながるよね、いろんな意見が出てきました。いろんな選択肢があって、子どもが自分でその中から選べることは子どもの主体性にもつながる。この章で紹介されていた「ごんぎつね」の授業ではまさにこの「選択肢」がありました。課題は10個程提示されていますが、子どもたちは全部するわけではなくその中から選んで取り組みます。この授業を見た時に「すっごい楽しそうだけどこんな授業が毎時間だったら疲れるかも…」という感想が出てきました。私もそうかもしれないと思いました。なんで疲れるのかなと考えてみて分かったことは、選択し続けるのには負荷がかかるということ。そして、その授業がいつもと違うと感じるからだということです。「今日だけやっていいよ!」のようにそれが行事的になってしまうのではなく日々の生活の積み重ねで、日常がプレイフルであることが大事なんだと思いました。

「なんでもやっていいよ」「好きにしていいよ」と急に言われて、子どもたちはできるかというとそうではありません。「なんでもしていいよ」は一見子どもの力を引き出しているようで、実はそうなっていないことがあるんだなと考えさせられました。

 話をしていく中で、プレイフルであるには「選ぶこと・生活につながること」よりも子どもがその先で何を「自分で見つけていくのか」が重要であるなと感じました。子どもが自分で見つけていけるように大人が場だけではなく、どんな仕掛けをつくっていけばいいのか、これから私たちがずっと考えていかなければならないと思います。

 毎回ゼミで他の人の考えにたくさん触れ、刺激をもらっています。まだまだ自分は深く考えることができていなかったり、考えを上手く言えなかったりすることもありますが、これからもいろんな考え方に触れ、自分の視野を広げていきたいなと思います!


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