月曜日, 8月 03, 2020

7/28 ゼミ『地域子育て支援拠点事業の多様なあり方—夜の多世代型子育てサロンはじめました』(高木)

 こんにちは!松本ゼミ3年の高木です。今回は、小林真弓「地域子育て支援拠点事業の多様なあり方―夜の多世代型子育てサロンはじめました」(松本伊智朗/小西祐馬/川田学=編『遊び・育ち・経験-子どもの世界を守る』2019, 明石書店)を読みました。 
 レジュメを担当してくださった片岡さんの考えを聞き、「地域子育て支援事業のあり方も、もう少し多様性があってもよいのではないか?」(p.216)という思いが実現化したその背景には何があったのが、実現化させた要因は何かという問いに向かって議論していきました。少しその問いの答えとはずれるのですが、私の考えたことを書きたいと思います。
 私はまだ、子育て広場、地域子育て支援拠点、サロンと聞いても、保育士の養成課程にいる者としても、もちろん母親という立場としてもまだその雰囲気を体験したことはありません。自分にとっては未知の世界ということもあり、なんとなく緊張感のあるそんなイメージでした。しかし、本章で取り上げられている「ねっこぼっこのいえ」は、自分の意思で誰でも利用でき、かつその中の雰囲気もゆったりとした場所であるという印象を受けました。しかしこのような「子育てを支援する場」には居心地がよい場所と、次からは来なくてもいいかな〜と思ってしまう場所がやはりあるようです。何がその違いを生み出しているのか。今回の話し合いで2つ大切なことを見つけました。
 1つ目は、その場に「あそび」があること、そしてその場が「あそび」であること。「緊張する面談や会議の場にお茶が一つあれば、少し場が和む…」という意見がありました。面談や会議では話し合うこと、コミュニケーションが目的です。ただその目的を果たすためだけの場だと少し緊張した雰囲気になるなと感じます。場を和ませる何か「あそび」があることがその場に足を運びやすくさせるのではないでしょうか。そしてこの子育て広場のような場所を「学校でも家庭でもない、行かなくてはいけない場ではなく自由意思で行くフリーな場」(p.212)と捉えた時、その場所自体が人の生活の中でほっと一息できる「あそび」と感じられるものかどうかが関わってくるのかなと思いました。
 2つ目は、“みんな同じ”を強いる場所ではないこと。例えばみんなに同じ方法で支援することは、支援する側は単純ですが、みんな必要だと感じていること、悩んでいること、考えていることは同じではありません。その人に必要な支援があるのではないでしょうか。支援は一例ですが、“みんな同じ”にしようとすることは居心地が悪いと感じさせる要因とも言えるのかなと思いました。
 「出会ってしまったその人のことを、一緒に過ごす中で、知らざるを得なくなり、また知るなかで多面的な視点を持つようになった」(p.215) 私はこの文章が今回の話し合いのキーセンテンスなのではないかと感じました。何か新しいことへ踏み込むことができたその背景の一つには、“出会い”があり、そして“知らざるを得なくなった”状況が視野を広げ、「必要」や「需要」を見つけることができた、行動に移すきっかけができたのかもしれません。人と出会うことは逃げられないし、出会ってしまったことを変えられないし、でもそれが私たちの視野を少しずつ広げていくのです。そして、出会った人と、出会える場所を大切にしたいと感じさせられました。ゼミでの“出会い”にも感謝です!!


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