金曜日, 8月 28, 2020

8/17-18 泊まらないゼミ合宿『子どもの健康と貧困』(髙谷)

 こんにちは。松本ゼミ4年の髙谷です。

 今回は、佐藤洋一「子どもの健康と貧困」[松本伊智朗/小西祐馬/川田学=編『遊び・育ち・経験-子どもの世界を守る』2019,明石書店,p249-267]を読みました。


 この章では、貧困と健康の関係を医療現場でみられる事例を基に示されていました。貧困は一時的影響だけでなく、慢性的に健康に悪影響を及ぼす可能性があることが分かりました。


 本章から、二つのことについて考えました。一つ目は、貧困のつながり・連鎖についてです。貧困は健康面、経済面などに悪影響をもたらし、それに伴い精神面や人間関係などにも影響が出てくる場合があります。このような一時的に広がっていく影響を貧困の横のつながりと捉えました。次に、本章で取り上げられていたような慢性的な影響によって、貧困が親から子どもへと連鎖していくことがあります。これを貧困の縦のつながりと捉えました。横のつながりは図で示せるような単純なものではなく、貧困から健康面や精神面に影響が出る場合もあれば、健康面や精神面の不調が貧困につながるというケースもあります。縦のつながりは順序性こそありますが、「不健康な人が必ずしも貧困である」という文が成り立たないように、縦のつながりは可能性の問題であり、統計的にはつながる可能性が高くても、絶対ではないというところが注意するべき点だと考えました。


 二つ目は、貧困のとらえ方についてです。「医療現場では問題行動にばかりに目が行きがちで、その背景にある貧困に気づきにくい。」(p.253)これは、保育現場でもよく言われることだと思います。背景に挙げられるものは貧困だけでなく、発達障害や家庭環境など様々ですが、問題行動は見えても背景が見えていない場面は多くあるのではないかと思います。一方で、子どもの背景を知り、貧困であると分かった時、問題行動のすべてを貧困が原因であるととらえてしまうことは、また違った問題へとつながるのではないかと考えました。「貧困家庭の子どもだから、、、」というような貧困のフィルターで子どもを見てしまうと、子どもとの関わり方が良くも悪くも変わってくると思います。

 それでは、貧困をどう捉えていけばいいのでしょうか。話し合う中でとても府に落ちた意見がありました。それは、貧困をその子の特徴の1つとして捉える考え方です。身長が高い、低い、運動が好き、絵を描くのが得意など、人はそれぞれ異なる特徴を持っています。貧困もその特徴の1つとしてとらえるのです。特別支援の考え方として、全員に同じ支援をするのではなく、必要な人に必要な支援を行い、その結果として、同じようなことができるのであれば、それは贔屓ではなく、適切な支援であるという考え方があります。貧困という特徴があるとき、貧困であることが必ずしも原因であるわけではないと思います。そのことに気づいたとき、他に可能な支援があるのではないかと視野を広げることができるのではないかと思います。そうした気づきにくい部分に気づくことが必要なのだと思いました。


 こうして考えを巡らせながら、やはり、貧困のつながりの強さから連鎖は止められないのではないかと考えてしまったため、連鎖を止めるために保育の現場でできる支援はなんなのかについて考えることにしました。ネグレクトを受けていた親は子どもへの愛情の注ぎ方が分からず、同じように子どもに対してネグレクトをしてしまうことがあるという話をよく聞きます。しかし、それは必ずしもそうではないだろうと考えます。ネグレクトを受けていた人は確かに親からの愛情は受けられなかったかもしれません。しかし、保育者や、周囲の大人など、その子に愛情を注ぐことができる大人が全くいなかった訳ではないと思います。そう考えると、そうした周囲の大人が愛情を与えなかったことにも原因があるのではないかと考えられます。確かに、ネグレクトを受けている子どもは愛情を受け取る機会は少ないかもしれません。しかし、周囲がそのことに気づき、愛情をさりげなく与えることで、大人になった時に愛情の注ぎ方が分からないということにはならないのではないでしょうか。そして、これこそが保育者のできる連鎖を止める援助なのではないかと考えました。保育所に来る子どもたちを笑顔で受け入れ、たくさん遊ぶ機会を与え、食べて、寝て、精いっぱいの愛情で子どもたちと関わることは子どもにとって心に残る思い出となるはずです。実際、保育者を目指す人の中には、幼児期に関わってくれた先生にあこがれて、とか、一緒に遊んでもらって楽しかったことがとても印象に残っているからなどが保育者を目指したきっかけの人がいます。このように、大人になっても幼児期の思い出は強く心に残っている人が多くいます。保育者が関わることができる時間は人生において微々たるものかもしれません。しかし、幼児期の思い出が小学校以降よりも心に残っているのは、楽しかったことや愛情をもってかかわってくれたことが多くあったからではないでしょうか。保育者の関われる時間は長くてもたったの6年、されど6年なんだと感じました。その大切な時間に最大限の愛情をもってかかわることができる保育者になりたいなと思いました。


 この本を通して、保育者の無力さ、大変さ、保護者の大変さ、難しさなど、様々な負の部分に触れてきました。しかし、たくさんの負の部分を知ると同時に、議論を重ねる中で保育者の役割を再確認することができたり、保育の可能性に気づいたりすることができました。まだまだ答えの出ない問いにもたくさん出会いましたが、これからまだまだ考える余地があるということで、これから少しずつ考えていきたいと思いました。1つの章から疑問を持ち、様々な人の意見を聞き交流することで自分の知らない保育の姿、役割を知ることができ、とても有意義で濃い時間を過ごせたと感じています。ありがとうございました。







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