土曜日, 8月 22, 2020

8/17-18 泊まらないゼミ合宿『貧困対策における保育の再定位に向けて』(片岡)

 こんにちは。片岡です。松本伊智朗/小西祐馬/川田学=編『遊び・育ち・経験-子どもの世界を守る』2019, 明石書店, の第11章、萩原久美子「貧困対策における保育の再定位に向けて」を読みました。


 この章では、利用者の半数強が生活保護・非課税世帯というA保育所の事例があげられています。様々な状況に置かれている家庭や子どもを、延長保育(22時まで)、休日保育、一時保育なども実施する多機能型保育所として受け入れています。


 そんなA保育所の事例を読んで話題に上がったのは、保育組織に「幅=遊び」をもたせることの重要性です。この「遊び」は、子どもの“遊び”とは少し違った意味の、工学概念でいうところの「遊び(機械設計において、急激な力が及ぶのを防ぐために部品の結合にゆとりをもたせたり、物と物との結合部にゆとりを設けることでゆがみを減少させたりする、安全装置の一つ)」です。A保育所では、厚みのある職員体制にする、多元的な特別保育事業を実施する、縦割りによるクラス編成をするなどの工夫を行い、保育組織に「遊び」をもたせています。「遊び」のある職員体制が、保育士の研修や休暇をカバーし、結果的に保育組織が安定的に維持されています。


 保育組織が安定的に維持されることで、保育の豊かさ、様々な状況に置かれている家庭や子どもを受け入れる素地、余裕が生まれ、そのことが真の意味での「一人一人を大切にする保育」へとつながるのではないか。

 飲み会のための夜間延長保育の利用、自宅までの送迎等、ともすれば「一つの家庭で許したら、全員許さなければならなくなるからできない」と切り捨てられてしまうようなことも、そう捉えるのではなく「一人一人を大切に、その家庭や子どもの状況、理解に応じた関わりをしていく」という視点で、必要なところに必要な保育をしているA保育所。考えてみれば、このことは保育の基本であるにも関わらず、苦情が出た時に説明のつかないことにならないよう、平等に一律のルールを設けるという場面が多いように感じる昨今の保育現場。平等とは何なのか。一律のルールは、真の意味での「一人一人を大切に」ではない。


 また、保育者にとっては何があったら「遊び」があることになるのか、という意見も出ました。時間の余裕?保育者がたくさんいること?「しんどい」と言える環境?等々考える中で、私は大変さもしんどさも分かり合える職場環境かなと思いました。10年ほどの保育者経験の中で、納得がいかないことやつらいことも多々ありましたが、同僚や上司から「大変やったよね」「ありがとう」と声をかけてもらうだけで、乗り越えられることもありました。

 大変さもしんどさも分かり合える職場環境のためには、まず時間や保育者数の余裕が必要なのかもしれません。本章にも『最小限の物理的空間に、またその安全装置である「遊び」が欠如していることを取り上げずして保育士個人の質を問い、「保育の質」を語る行為は、保育の場を最小限の資源で最大の効果を引き出す生産至上主義的空間へと転換することにほかならない』とあります。


 保育組織が安定的に維持できるための制度的なことはまだまだ追いついていない中でも、貧困はじめ様々な困難な状況に置かれた家庭、子どもが存在しています。保育者としてその現実に向き合い、自分たちの手で生みだせる職場環境の「遊び」を大切に、真の意味での「一人一人を大切にした保育」をしていきたい、本章での議論またこの本全体を振り返ってそう感じました。




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